なぜ!
あなた方はっ
幸せになろうと思い
そのように?
計画、行動しながら
幸せになれていないのか!
何が足りていないのか!
何が幸せになれていない原因なのか!
それはっ
<私>を知らないからなのです!
<私>を
<私>の本質を知りっ
その本質に常に照準を合わせ!
<私>を尊ぶのですっ!
そのことの本当の意味が分かる時!
あなたはっ
これまでとは違ったタイプの
幸せをっ
目の当たりに!
することでしょう!!
………………………
……などと……
約1年半ぶりのブログの更新が
このような内容、文体だった場合、
読む側としては
「あ~ぁ…………」
「とうとう………」
「可哀そうに……」
「こっわ!」
といった感じになるのではないでしょうか?笑
「超」が付くほど久々の更新な上に、
このブログが始まった記念日でもある4月1日(エイプリルフール)ということもあって、
前々からいつかやりたいと思っていたネタ(文体)で書いてみることにしました。
以前、
実際に
このような文体で書かれたブログを読んだことがあり、
最初は
「なんだこの文章は?」
と斜め読み(飛ば)したのですが、
後になって
意外と深く印象に残る文体だったと気付くと同時に
いつか自分もこのような文章を書いてみたい……と思っていたのでした。
なんとか「あの感じ」を
再現したいと想いつつがんばってみたのですが
何かが、どこかが違う、といった印象が拭えず
あの文才?に
ちょっとばかりジェラシーを感じたりしています笑
ところで……
仮に
駅前や街角などで
ここに書いた通りのことを叫んでいる人がいたらどうしますか? ←
たぶん
関わり合いにならないように
目を合わせないように
風のようにその場を立ち去ろうとすることでしょう。
「私を知らないから幸せになれないのです!」
「私の本質を知り、私を尊ぶのです!」
確かに
こんなことを叫んでいる人がいたとしたら
(どんな宗教、スピリチュアルだょ……)
と感じて逃げ出すのが正解だと思われます。
しかし
できれば
もう一度
前述の文章を読んでみてください。
文章だからこそ見てわかる通り
<私>という部分が
カッコで区切って表現されています。
これを先ほどと同じようにまとめると
「<私>を知らないから幸せになれないのです!」
「<私>の本質を知り、<私>を尊ぶのです!」
という感じになります。
ということで
実は
この<私>という表記は
ひとりひとりが使う「私」という言葉(一人称)が指すもの、を意味しており、
このことはすなわち
<私>という表現は
(これを読んでいる)「あなた自身」という意味である、
とも取れるようになっているのです。
これを
もう一度まとめ直すと
あなたは
あなたが使う<私>という言葉が指すもの、
すなわち
<あなた自身>を知っていないから幸せになれないのです
あなたは
あなたが使う<私>という言葉が指すもの、
すなわち<あなた自身>の本質を知り、<あなた自身>を尊ぶことで幸せになれるのです
ということとなり、
文章をそのままストレートに受け取れば
自らを崇拝するよう
演説(布教、説教)しているかと思われた内容が、
実は
慎重に読み解けば
「読んだ人が自身の本質を知ることで幸せになれる」
ということを言っているという
真逆の内容になっているのです。
小説や叙事詩など
たくさんの文章を読んでみて感じたことの中のひとつに、
文章として
書かれていることとまったく違うことが示唆されている、とか
書かれている内容とまったく違うイメージが沸き起こってくる、という
表現がなされたものは
そこから受ける印象が強く残る、というものがあり
今回はそのことを意識しつつ
まとめてみました。
これまでも何回か書いてきましたが
知らないことは書けない、書かない
というスタンスな上に
リアルな活動に注力していることもあって
更新頻度が下がっていることをお察しいただければ、と思います。
(今回1年半ぶりなので次回は3年後かも笑)
はい
ということで
久々の更新で
トンデモな文章を披露し不安にさせつつ←
実は
深い内容を示唆していた、
ということを自ら解説しつつ←
このブログの誕生日でもある
4月1日の更新を終わりにします。