長い期間に渡り、日本の経済政策を担ってきたある人(国会議員、民間議員、大臣、経済戦略会議委員等経験者)は
「競争こそ正義!」
といったニュアンスのことを、様々な時に、様々な媒体で話しているそうです。
(文末が伝聞形式なのは、実際にそう言っているところを見たり、著述されているものを読んだりしたことがなく、ネット上で知り得たことだからです)
中学生くらいの時、何かの授業で
「企業間の競争によって、モノやサービスが安価となるだけでなく質の向上も期待できる」
なんて習いましたし、実際、いろんな商品においてそのような傾向が見られます。
「競争することによって、様々な状態が良い方向に向かう」
というのは、ある意味においては事実でしょう。
前述の「経済政策を長らく担当されてきた方」は、企業間の競争のみならず、国と国、人と人、における競争に勝つことが重要だ、と考えられておられるようですが、そのようにただ単純に競争を礼賛してもよいものなのでしょうか?
具体例を挙げて見ていきたいと思います。
ここで挙げるのは「運送業」です。
最近「宅配業界の残業代金未払い問題」がニュースで度々取り上げられている、ということでタイムリーですし、そのニュース内容の深層には、いろんな種類の問題が存在していそうなので、「宅配業」について考えてみます。
宅配における最低限の役割を考えてみると
「預かった荷物を指定先に届けること」
ということになるでしょうか。
ある一社が独占して宅配を行う時は、それ(預かった荷物を指定先に届けること)だけを行っていればよい、ということになります。
しかし、そこに競合相手が現れた場合、それだけをしていればよい、というわけにはいかなくなります。
競合相手ではなく、自社を選んでもらうために、独自のサービスを生み出すことによって他社との差別化を明確にし、市場のシェアを少しでも多く獲得していかなければなりません。
ここに、様々な「競争」が生まれてきます。
パッと思いつくだけでも
①値段を安くする
②なるべく早く届ける
③指定期日、時間帯に届ける
④冷凍・冷蔵品を扱う
⑤壊れないように丁寧に扱う
⑥対面時はなるべくニコニコ爽やかに応対する笑
等があります。
ただ、これらはほんの少しの努力や改善によって、競合相手も同じことができるようになります。
特殊な荷物(大型機械とか危険物とか)を運ぶ際は、専門的な技術や知識の他に、それに対応した車両が必要になりますが、段ボール箱や封筒をメインに運ぶような「宅配」に限っては、そういった「専門性」は必要ありません。
そういう意味において「宅配」はとても単純なシステムであり、それゆえに「競争」によって独自性を打ち出すことが極めて難しい業務といえるでしょう。
「早く届ける」ことにも、「取り扱い数量を多くする」ことにも物理的な限界があるために、ほとんど競争の余地がないところから、もうこれしかない、と、なんとか「融通が利きそうなところ」が最終的に競争のためのターゲットとなります。
そのことにより、
従業員の給料を抑えたり、残業させた上で正当な代金を払わなかったりする
というようなことが発生し、それによって得られた余剰金をもって競合相手よりも有利な条件を顧客に提案できるのです。
宅配業最大手 A社のニュースに
「今年3~6月期にこれまで未払いだった残業代金をまとめたら242億円となった。それを計上したことにより営業損益は赤字となった」
というものがありました。
この未払いの残業代金を計上する前は黒字だったそうですから、末端の従業員がこれまでいかに競争のために犠牲にさせられてきたのかがわかります。
これは特定の一社だけの話ではなく、同業他社である B社にも同様の問題(残業代金未払い)があるとのこと。
宅配業における
「客(荷受け先、送り先)を納得させ、会社も儲ける」
といった形は、企業努力や競争などに寄るものではなく、単なる「従業員の犠牲」によって成り立っていた、ということなのかもしれません。
この「従業員の犠牲」は、普段あまり顧みられることのない、競争における「別の一面」を浮かび上がらせます。
一般的に、経済活動における「競争」とは、同業他社との間で行われると考えられます。
今回、取り上げた宅配業における残業代金未払い問題も、競合する他社があるからこそ ──── より安い運賃を提案したいがために ──── 発生する問題でしょう。
しかし、見方を変えれば、これは「一企業内における競争でもある」ということに気づかされます。
正当な残業代金を払うと赤字になってしまうが、それをカットすることで黒字を維持できる ──── そのことによって、特定の職種(主に経営陣)や株主が、大きな報酬や配当を手にすることができるのです。
ここで起きているのは「企業内のお金を、誰がより多く自分の懐に入れるか」という「企業内における競争」です。
これは本来、残業に対して支払われるべきお金ですから、競争というよりは一方的な搾取ということに他なりませんが、これまでは「それに問題を見出さない」というような姿勢の下に経営が行われてきました。
そのことにより、末端の従業員の犠牲によって作られた黒字が、その他の従業員や経営陣、そして株主等に分配されてきたのです。
企業間における競争は、企業にとっては技術や知識の向上を、消費者・顧客にとっては安さと高品質なものをもたらすということで「競争こそ正義」となるかもしれません。
しかし、企業内における競争においては、従業員の残業代金未払いや、休憩・休日のカットが選択肢として現れることとなり、「競争が悪」という形になりえるのです。
冒頭で触れた「経済政策を長らく担当されてきた方」の論理では
「その企業内の競争に負ける奴が悪い(出世しない奴が悪い)」ということになると思いますが、そこを守るための法律が何のためにあるのかを、見失わないようにしたいところです。
誰か、は、必ずその職務を担わなければならない、のです。
その部分の力を削ぐようなこと ──── 競争の名の下に実務担当者から時間や労力、賃金を奪う行為 ──── は、長い目で見れば「競争に勝っていたはずの存在」まで脅かすこととなるでしょう。
「努力した者、成功した者の足を引っ張るな」とも言います。
まったくその通りだと思います。
しかし、
「末端で努力している者の足を引っ張っている」のは、いったいどんな存在なのでしょうか?
努力した者の足を引っ張るな、と言いつつ、実際は「末端の努力(非成功者の努力)は考慮しない」ということなのでしょうか?
だとしたら、まさにその点において、自らの論理が破綻していることに気づかされることとなるでしょう。
さて……
この宅配業関連におけるニュースには、残業代金の未払い問題以外にも興味深いものがいくつかあります。
ひとつは「宅配便の料金が値上げされる」というものです。
業界最大手の A社における運賃の値上げは27年ぶりだそうです。
これは、27年間、競争の名の下に値下げされ続けてきたものが、今後、逆向きに向かい出す可能性がある、ということを意味しています。
つまり
A社は「値段を安くする」という競争から降りる、ということを選択したのです。
興味深いのは、これがガソリン代の高騰や政治的な働きかけで行われるのではなく、自らの判断で為された、ということです。
これまでは自社の中から巻き上げて、消費者や株主や経営陣に分配していたものを、キチンと受け取る権利のある人に渡す(還す)、という形が執られることを、当事者である経営陣が決めたのです。
このことが意味しているのは
「競争には限界がある」ということに他なりません。
理論的には「競争には限界がある」ということはわかりきったことなのですが、今回、実例として表出してきたことで、今後、そのことがより多くの人に、さらに明確に認識されていくことになるでしょう。
また、競争の原理でいえば
「最大手の一社が値段を上げる時、競合他社は値段を据え置くか、さらに安売りすることで市場シェアを大きく奪えるチャンスとなる」
はずです。
ところが
最大手 A社に続く規模の B社も運賃の値上げに踏み切ることにしたそうです。
最初は、その競争原理から
「値上げは法人のみで、個人向けの運賃は据え置く」ことにしたようですが、後になって「やっぱり個人向けの運賃も値上げする」ことを決めたそうです。
これもまた「競争の論理ではやっていけない」という判断が、自らの意思によって下された、という明確な実例といえるでしょう。
ここでまた冒頭で触れた「経済政策を担う人」の話に戻ります。
今、まさに競争原理からの逸脱を選択する企業が「業界全体」から実際に出始めている中で、「競争こそ正義である!」という認識に凝り固まった人が、何年も、いや十年以上に渡って経済政策を担う地位に就いていたとして、その経済政策が実際にうまく機能するものなのでしょうか?
これは前回の更新で触れた「失われた20年」とも関連していることなのではないのかな、と感じます。
ただ、ここで注意したいのは、たとえ長きに渡って結果をまったく出せていないにしても、その「経済政策を担う・担ってきた人」自身を否定するものではない、ということです。
結果を出せていないどころか、さらに悪くしている、というような状況を生み出していたとしても、その個人を非難するようなことはしないのです。
これは、前回の更新で記したように、そういった人がその任に就くのは必然的なことだったのだ、と捉えることによります。
歴史がそう決めたから、
「政治家や官僚、経済政策を担う人、中央銀行等が為してきた、どのような政策も結果を出せず、それが故に失われた20年があった」としても「それで良い」のです 。
何故ならば
そうであるがゆえに、資本主義は終焉に近づいていき、それに代わる新しいシステムが胎動してくるからです。
さて……
文句ばかり言っていてもしかたないので
それじゃあ、どうすればいいの?
という疑問に応えて……
「与配主義」における宅配・運送業について具体的に考えてみましょう。
(このブログで提唱された「与配主義」に関しては、「マルクス、ケインズ、そして…… 資本主義の次のシステムはこうなる! かも」を参照してください)
与配主義においては
個人と社会が同時に最大限の寄与を受けることを第一と考えます。
また、
宅配業という「特殊性」の少ない業務であることを考慮に入れることによって……
集配を行う場所を公的に造ることにします。
ざっくりいうと……
各都道府県に最低ひとつの超巨大集配センターを造るのです。
これは出来れば高速道路沿いに用地を取得し集配センターを造り、個人的な荷物も、法人的な荷物もすべてここで処理する、という形にします。
どこの都道府県から、どこの都道府県に荷物が送られるにしても、基本的にすべてこの集配センターを通ることになるのです。
この集配センター間の荷物の移動は大型車によって行われますが、高速道路沿い、ということにより、時間的な利得を多く受けられるでしょう。
また、集配センター専用の高速道路インターチェンジを造ると、さらなる恩恵を受けられます。
その恩恵のひとつは
高速道路上には信号機も歩行者・自転車も存在しないので、ドライバーの負担が大幅に減る、ということになります。
また、その他にも
AI 等による「自動運転技術」が開発された時、信号や対向車、歩行者、自転車、駐停車している車などが存在する一般道ではなく、高速道路走行に特化することで、大型車の自動運転が、より安全に行えることが期待できます。
このような形に、運送業者すべてが利用するプラットホームを、公的に(高速道路沿いに)造ることによって、今よりも極めて低労力、低コスト、低人数で安定した物流網が築けることでしょう。
これは、単なる空想や絵空事なのでしょうか?
つい先日(2017年7月14日)、興味深いニュースが配信されました。
「ヤマト運輸は大型トラック2台ぶんの輸送が可能な連結トラックで、他の運送会社と荷物を共同輸送する検討を始めた。業界団体と連携し、佐川急便や日本通運、西濃運輸などに参加を呼び掛けていく予定だ。早ければ年内にも東名高速道路などで実証実験をする見込み。競合他社と協力して運転手の人手不足の緩和につなげたい考えだ。
──── 中略 ────
ヤマトは昨年度に連結トラックを2台投入し、自社の物流拠点間の荷物輸送を始めた。共同輸送ではヤマトのトラックの後ろに他社の荷台を連結することなどを検討している。
国土交通省も物流の効率化に向けて、運送会社に連結トラックの導入を推奨している。トラックの長さ制限を25メートルに緩和することも検討中だ。」(日本経済新聞「連結トラックで他社と共同輸送」より)
本来、競争しあうはずの同業他社と連携して物流網を築いていく、とのことで、国の後押しもあるようです。
だとすれば、前述した「すべての運送会社が共通して利用できる高速道路沿いの超巨大物流センター建設」も実現性がないとは言い切れないのではないでしょうか?
それによって、運送業者やその顧客のみならず、一般道を走る車や自転車、歩行者等まで、多岐にわたって恩恵が受けられることを考えれば、むしろ早急に検討する価値があるのかもしれません。
また、
このニュースは、先述の「運賃の値上げ」と同様に、企業が「競争原理から離脱することを選択した」ことを意味しています。
その離脱が、一企業のみならず、業界全体で行われようとしている、というところにも着目したいところです。
今までは、各々の企業が、自らの利益のためだけに行動してきたわけですが、さらに、今までと同等、もしくはそれ以上の利益を得ていくために、同業他社との連携を模索し始めたのです。
競争の原理に従い相手を蹴落としていこうとする姿勢から、協力・分担できる部分は互いに補い合おうとする姿勢への変化。
この動きは、運送業のみならず、さまざまな業種に派生していくことでしょう。
そして、このことは、これまでの「資本主義」の概念から大きく懸け離れた形を、既存の社会に生み出すのではないのかな、 とSF的に予想して今回の更新を終わりたいと思います。
※次回予告
2017年7月、信じられないようなニュースが配信されました……
過去に書かれたブログ記事と照らし合わせながら、その意味について考えてみたいと思います。
もしかしたら本当に資本主義は…………