空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

お金から順番へ  貨幣制度の次は「順番決定制度」

 

登場人物

父(自営業)

母(主婦)

子1(女.中3)

子2(男.小6)

 

①資本主義的市場経済型家計の場合

父「これが今月の予算という名の手取り40万円だ。これをみんなで争奪しよう」

 

子1「争奪て……」

 

父「みんながそれぞれ自分の役割をこなしている。その力に見合った量を取っていこうか。まず父さんがそうだな……24万円くらいかな。根拠ないけど」

 

母「それじゃあ私は10万円ね」

 

子1「残りの半分の3万円」

 

子2「僕も3万円」

 

父「そして……生活を維持していく上で必要不可欠なぶんをみんなからそれぞれ徴収していくぞ。まずは食費や光熱費、水道代から。ということで、ぶんどった額から2割ずつ集めていくぞー」

 

父「父さんは4万8千円納めます。母さんは2万円。子1と子2は6千円ずつだ」

 

父「ふむ。それから……年金やら健康保険やらのために取っておくぶんとして、さらに2割5分集めようか」

 

父「父さんは4万8千円。母さんは2万円。子1と子2は6千円ずつ……ってアレ? なぜかさっきと同じ額になったね(笑顔)」

 

父「それから……車の車検費用と任意保険と自動車税の積み立てぶん、あとはガソリン代として、残った額から1割徴収だ」

 

父「父さんが1万4千4百円。母さんが6千円。子1と子2がそれぞれ千8百円」

 

父「あとは……子1と子2の塾、ピアノ、サッカー教室の指導料のために2割5分集めようか」

 

父「父さんが3万2千4百円。母さんが1万3千5百円。子1と子2が4千50円」

 

父「それから……貯金用。何かあってからじゃ遅いし、前もって蓄えておこう。ということで残りの額から6割徴収ね」

 

父「父さんが5万8千32円。母さんが2万4千3百円。子1と子2が7千29円」

 

父「ということで……残りはいくらになった? 父さんは3万8千8百80円だ」

 

母「私は1万6千2百円よ」

 

子1「私は4千8百60円」

 

子2「僕も4千8百60円」

 

 

子1「……あのさぁ……」

 

父「ん、なんだい?」

 

子1「毎月毎月これやるけど、最初っから決まってる分だけ渡せばいいんじゃないの?」

 

父「わかる。わかるぞ。でもな、こうやって見かけ上お金が動いてることが重要だったりするんだぞ。それがたとえ実質的なものでなかったとしてもな」

 

 

②与配主義的必要分徴収済み家計の場合

父「これが今月の予算という名の手取り40万円だ。これを必要なぶんを控除した上でみんなに分配しよう」

 

父「父さんが3万8千8百80円。母さんが1万6千2百円。子1と子2がそれぞれ4千8百60円だ」

 

父「それぞれの額は小さく感じるけど、いったん手元に来たものをまた取られることはないんだぞ」

 

 

 

はい。

 

ちょっと変わった書き出しからスタートした今回のエントリですが笑

①の形は現在の資本主義で行われている予算配分と徴収(税金、年金、健康保険代金等)を模しており

②の形はこのブログで提唱している与配主義における予算配分のイメージとなります。

 

 

以前のエントリ

与配主義における経済の流れや価値の捉え方について」において使った図をもう一度使ってみます。

 

①のイメージはこの図に似た形となります。

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この図には政府にあたる部分が入ってないのですが、いったん市場に投入したものをさまざまな名目(各種の税金や年金、健康保険代金等)で回収、再投入・再投資していく、という形です。

 

②のイメージはこの図です。

f:id:sfsingularity:20170922113343j:plain

全体をひとつの大きなサイフと見なし

「全体として必要な額を除いた部分」を市場内で争奪しあう、という形になります。

 

そのことにより、与配主義下では、税金も年金も健康保険も生活保護も存在しません。

 

それらは市場に供給される前に既に控除されているから、です。

 

 

そんなことをしたら財政が破綻するのでは?

 

もし、この形で破綻するとしたら、①における一般的な市場経済型の社会でも破綻することになります。

 

というのは、

行う経済活動の規模や内容といったもの自体は

①の資本主義においても

②の与配主義においても

まったく同じからです。

 

つまり

これまで通り①型が問題なく続けていけるのであれば

②型にしても同様に続けていける、ということになるのです。

 

 

税金や年金、健康保険、生活保護をなくすための財源はどうするのか?

 

②の図のように

全体から必要なぶんが供給されるため、特別な財源は必要ありません。

 

 

その、より具体的なイメージ的としては……

 

・①型の社会では「誰かがいっぱいぶんどって(稼いで)懐に収めながらも、貯められるだけでほとんど流通しない」という現象が起こり得る

 

・さまざまな面でその弊害が大きいために、②型では「必要なぶんを前もって除外しておき、その部分以外を取り合いする」

 

といった形になります。

 

 

このようなことについては

・経済の規模が縮小するのでは?  

・これまで稼いでいた人が損するのでは?

といった疑問が浮かぶかもしれません。

 

しかし

貨幣制度に代わる「順番決定制度」を用いることで、それらの心配は無用となります。

 

経済の規模、およびその流動性に関しては

税金や年金の積み立て、健康保険代金等の徴収がなくなることによって、むしろ広がる可能性が高まります。

 

また、

稼いでいた人が損をするのでは、ということに関しては

これまでの社会でも

・税金をたくさん納めたのに見返りがない

・働いて得られる賃金より生活保護の方がたくさん貰える場合がある

などといった

そのシステムの根幹を疑うような現象が発生していました。

 

しかし

与配主義と順番決定制度においては

「個人や社会に、より多く与えた人や会社」が「より多くの順番決定ポイント」をもらえるという根幹部分の設計により、上記のような問題が完全にクリアされるのです。

 

 

資本主義下における貨幣制度では

より「儲けた」人や会社が、より大きな資産を手にしていましたが

 

与配主義下における順番決定制度では

より「与えた」人や会社が、より大きな資産を手にします。

 

資本主義では

「儲ける」という行為が経済の軸になっているため

誰しもが儲け続けなければなりませんが、

 

与配主義では

「儲ける」行為が必要ありません。

 

というのは、

「儲け」にあたる部分は

「与えたものの価値に応じて、公的な第三者機関から付与される順番決定ポイント」になるからであり

 

なおかつ

その順番決定ポイントとは

資産の量を意味しつつも

単にモノやサービスを手に入れる順番を決める指数だからです。

 

 

 

資本主義下では

儲けた量により

保有しているお金(もしくはその他の評価額)の量」をもって資産を計ってきましたが

 

与配主義下では

「モノなりサービスなりを手に入れる順番を決める指数の量」をもって資産を計ります。

 

 

 この違いが意味するのは

 

「儲けた量」は絶対的な指数であり

「順番」は絶対的な量を相対的な量に換算した指数である

 

ということです。

 

 

………

 

今記したこと、

順番決定制度が何を意味するのかについて

もの凄く重要なことを書いている気がするので(書いてる途中で気づきました←)

 

この部分の意味が

さらにわかりやすくなるよう、例を挙げて考えてみます。 

 

 

例えば……

人口が5人の国←の市場に「30」の価値を投入したとします。

 

資本主義において

これをAさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの5人で奪い合いした結果、

A(7) B(2) C(5) D(1) E(15)

となった場合

 

降順に揃えると

E(15) A(7) C(5) B(2) D(1)

となります。

 

表されている数字の量が資産の絶対量にあたり、すべての経済活動がその量に見合った形で行われていきます。

 

その社会においては

衣食住を基本とした最低ラインの生活水準は

Dさんに合わせられます(そこに水準を合わせないと社会が成り立たないので)。

 

当然、Eさんは余裕を持った生活を営めますが

そのEさんに消費欲がなかった場合、

もしくは、Eさんがもう既にほとんどの欲を満たしていた場合、

資産の大部分は使われず残り

さらに経済活動するにつれて資産が増大していきます。

 

 

使われず、循環することのない資本が一か所に留まったまま増えていく ──── 

 

このことが社会にどう影響を与えるのか

簡単に予想できるのではないでしょうか?

 

 

一方

与配主義においては 

市場に投入予定の「30」の価値のうち

あらかじめ必要なぶん(税金とか年金とか健康保険とかのぶん)「15」を控除し

「15」の価値だけ市場に投入されます。

 

そこで行われるのは

儲ける行為ではなく与える行為です。

 

より多く与えたり配ったりした人や会社に

より多くの順番決定ポイントが付与されることにより

A(4) B(2) C(3) D(1) E(5)

といった

個人間におけるポイントの多寡が現れます。

 

これを

順番決定ポイントの多い順に並べ替えると

 E(1位) A(2位) C(3位) B(4位) D(5位)

となります。

 

「30」投入された場合と比べると

「15」しか投入されないため

各個人間の絶対的な資産量の幅は大幅に縮まりますが、

すべてのモノやサービスは

「順位が高い人から手に入れる権利がある」というシステムにより

結果的に

努力した人が努力したぶんだけ

モノやサービスといったものを順番通りに、より早く、より多く手に入れることができるのです。

  

 

このことにより

 

必要なぶんをあらかじめ控除した市場で

全体の資産の絶対的な量が減ったとしても

相対的な量を比べ合うことにより

以前とまったく変わらない

もしくは

以前よりも超がつくほど活発な経済活動が産み出される、とSF的に予想されるのです。

 

 

 

ここで………

 

さらに、先ほどまとめた

 

「儲けた量」は絶対的な指数であり

「順番」は絶対的な量を相対的な量に換算した指数である

 

ということについて

具体的な例を挙げて考察してみます。

 

世界一のお金持ちを調べるために、個人資産の量(現金、預貯金、株式、不動産等)を、多い順に比べてみるとします。

 

それぞれの総資産額は(例えば)

 

1位 10兆円

2位  5兆円

3位  3兆円

 

となっていて 

1位と2位の差は5兆円あります。

 

これは

「1位と2位の間には5兆円ぶんの絶対的な差が存在している」ということを意味しています。

 

 

これを

与配主義に置き換えてみると……

 

1位 1000億ポイント

2位  500億ポイント

3位  300億ポイント

 

くらいになるでしょうか。

 

それぞれのポイント数自体は

お金と同じく絶対的な指数なわけですが

それを

「順番に置き換える」ことによって

「相対的な指数に変換する」のです。

 

1位と2位を比べてみると

そのポイント数には「500億」の差がありますが

順位自体を比べてみると

1位と2位の間には「1」の差しかなくなります。

 

このことは

資産の量を表す「ポイント数」という絶対的な指数を

順番を表す「順位」という相対的な指数に変換し

それを基にして行う経済システムを創れば

全体的な資産の隔たりを究極的に圧縮できる、ということを意味しています。

 

 

資本主義における貨幣制度では

「相手より『より、たくさん』儲けていかなければ」

と、際限なく儲ける行為が続けられていき、

結果、膨大な格差が生まれ

そのことによって

逆に経済自体が停滞していく、といったような

本末転倒なことが起きてしまうのですが

 

与配主義における順番決定制度では

「相手より 『1ポイントでも』多ければ」

順位が上になり

モノなりサービスなりを相手より早く手に入れられるようになるので、

ある程度の差が生まれた後は

そこまで格差が拡がるものではない、と予想されるのです。

 

 

 

 また、

「競争」という面から見ると

 

資本主義や共産主義社会主義における競争 ──── お金や序列、その他の獲得を目指す行為 ──── は

 

相手を蹴落としてでも上を目指す

 

ものにならざるを得ませんが、

 

与配主義は

その根底に「誰か、もしくは社会に対して与える」という行為に価値観を見出す、という視点があるがゆえに、

そこで行われる競争自体が

 

誰か(競争相手をも含む)にとって、より良いモノゴトを与える

 

ことに繋がり、

これまでの社会で考えられてきた「競争」とは、まったく意味の違った、新しい概念の「競争」に打ち替わるのです。

 

 

このことの理解を助ける例として挙げられるのは

著作権や特許といったものです。

 

資本主義における「特許」を例にとれば……

 

同業他社の特許を使う際、

それが他社の特許であることを知っていても

相手に利益を与えないように

その特許を使っていることを秘匿しつつ製品に使うことがあります。

 

特許を侵害された側は

それが自社の特許であることを証明し、使用の差し止めを求めたり特許料の徴収を行ったりするため、裁判を起こすことになります。

 

このようなことにより

 

各企業においては

不必要な時間や労力、お金といったものが費やされ、

 

消費者においては

既に開発されている便利な機能が使えない製品を提示されたり

商品の価格が上がったりする等の不利益を受けることとなります。

 

そういった

権利の主張による争いによって

全体に負の作用がはびこってしまうのです。

 

 

これに対し

与配主義では

特許をどんどん使ってもらうことになります。

 

「特許が(権利者以外の)誰かに使われている」ということは

それを直接使用している存在(同業他社)や

消費者に対して

「与えている」行為である、と見なされることから

公的な第三者機関を通して「順番決定ポイント」が権利者に対して付与されるからです。

 

(国際的な企業間においては、これまで通りの競争のままかもしれませんが、仮に地球全体が与配主義になった場合← すべての企業や個人の特許や著作権が、権利者を考慮しつつも完全に自由に使われることとなり、経済のみならず、モノ自体のクオリティが飛躍的にアップすることとなるでしょう)

 

 

以上のように

 

資本主義、共産主義社会主義における「競争」は、対立、いがみ合い、闘争を生み出します。

 

ところが

与配主義における「競争」は、一見、対抗し合っているように見えたとしても、その深層の部分では、補い合い、助け合い、協力し合いに繋がっている、ということにより、誰にとっても「良いモノゴト」が相乗的に生み出されていくのです。

 

 

………

 

ということで………

 

今回のエントリの他にも

これまでのエントリのいくつかで

「貨幣制度」に代えて「順番決定制度」にすればよい

というようなことを書いてきましたが

 

は? 順番決定制度? なに言ってんの??

 

的な人も多かったかと思います(注:含む筆者)←

 

しかし

今回の更新で、その意味合いが、より明らかになったのではないでしょうか。

 

 

「お金」という概念を基にした経済を行う、という

世界中で普遍的(に近い)存在である貨幣制度というシステムですが、

(近い、としたのはアマゾン奥地のお金を使わない原住民等を考慮して笑)

 

その概念からほとんど離れた

まったく新しいアイデア(idea)が

与配主義における順番決定制度である、ということが示されました。

 

 

使われずに貯め込まれ、市場内を巡らないお金は、全体的な経済に好影響をもたらすことがありません。

 

しかし

順番決定制度における順番決定ポイントは、仮に自分が使わなくても、誰かがモノを手に入れようとする際、必ず自分の(全員の)順位も含めて参照される(ある意味において「使われる」)のです。

 

 

お金、という絶対量の世界から

順番、という相対量の世界へ移行することにより、

資本主義や共産主義における貨幣経済流動性を軽々と超え

究極的に活発化した経済が展開される、ということをSF的に予想しつつ

今回の更新を終わりにします。

 

 

  

与配主義とは

共産主義においては独裁と規制、資本主義においては競争と奪い合いによって構築されているシステムを、「より多く与えたり配ったりした存在(個人・会社等)が、より多くの利益を受けられる」というシステムに変えたものが「与配主義」となる。

より多く与えた存在は、より多くの「順番決定ポイント」を公的機関から与えられる。

 

順番決定ポイントとは

これまでの貨幣が担ってきた役割を「順番を決めるポイント」に置き換えたものが貨幣制度に代わる「順番決定制度」となる。

何らかのモノを購入したり何らかのサービスを受ける際、順番待ちが生じるような場合、人は順番決定ポイントが多い順にソート(並べ替え)される。

順番決定ポイントが多い人ほど、さまざまなモノやサービスをより早く、より多く享受できることとができる。

このことにより、新製品の購入時、炎天下や極寒時に発売日の何日も前から並ぶといった行為が一切必要なくなる。また、コンサートのチケット等も早い者勝ちではなくなる。

また、このシステムは資本主義や共産主義下の税金納付において、たくさん納めても何の見返りもない、という弊害を完全に克服する(たくさん納付した人=たくさん与えた人、ということになり、より多くのポイントを与えられる)

 

全員公務員制度とは

生まれたてホカホカの赤ちゃんから、寝たきり老人まで国民全員を公務員とする制度。

全員に対して給料的なものとして必要最低限の順番決定ポイントが与えられる。

 

それぞれのより具体的なイメージは

マルクス、ケインズ、そして…… 資本主義の次のシステムはこうなる! かも」でどうぞ