空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「問題」についての考察・その2

 

今回は「ある問題に関して、その解決法は既に存在している」ということに関して考察していきたいと思います。

 

まずは、物理的に存在する問題について。

 

「それは物理・科学的法則からみて不可能である」という問題を除いて、すべての物事について「その解決法は既に存在している」と考えられます。

 

例えば「遠くに早く移動したい」という想いを抱く時。

 

江戸時代なら馬や駕籠(かご)でしょうか?

 

いや、駕籠を使うくらいなら自力の方が早いかもしれないので、馬、ということになるでしょうか。

 

この時代には、車や飛行機、ロケット等に関する知識や技術、部品等がないためにそれらを造ることができませんでしたが、それらを産み出す法則自体は存在していました。ただそれを知らなかっただけ、ということになります。

 

法則自体は、地球が生まれた時、物理・科学的条件が定まった時点で、すべて決定済みなわけです。

 

それを利用して新しいモノができるか否かについては「いつ人間がそれを見つけるのか」というだけの話になります。

 

今、現在できないアレコレも、それを解決する方法は既に存在しているのです。それを見つけることができるかどうか、それだけにかかっているのです。

 

 

以上は 物理的に存在する問題に限って見てきましたが、これは知識や精神といった分野においても同様だと思われます。

 

政治やら経済やら平和やら……毎日さまざまな問題がさまざまな場所で採り上げられますが、それら一切を解決する方法は既に存在しているのです。ただ、まだ見つかっていないというだけで。

 

いや、もしかしたら既に見つけているけれども、広まっていない(意図的に隠されている)だけなのかもしれません。

 

 物理的なモノに関しては、形に現して披露すればいいわけですが、精神論や認識のようなものは、個人的心情や思い込み等がある故に、たとえ披露されたとしても浸透するのはなかなか難しいかもしれません。

 

ただ、そうであったとしても、それが本当に完全なものであるのなら、最終的には当然のごとく普及すると思われます。

 

これまでの世界が知らなかったモノ、思いつかなかったモノ、検討さえしたことのなかったモノ―――それが開示され、吟味・研究され、実際に普及する。その時この世界はこれまでの形をまったく新しく変化させ、生まれ変わるのです。