自由を伝える時、それは誰かを束縛する
唐突ですが、
人は真に自由になった時、いったい何をしようするのでしょうか?
自由だけに好きなことを好きな時に行うのか、あるいは、自由なのだから何をするということもない、ということになるのか。
インドのある古い話の中には「行為をせよ」ということが再三書かれています。
欲望やら結果やら、そういったものは一切省みず、淡々と行為を為せ、と。
誰かに対して何かを言う、という行為は、それがどのような類の話であれ、ある種誰かの自由を奪っていることに他なりません。
真に自由を得たという人がいたとして、はたしてその人が自由についてアレコレ話したり書いたりするものなのか疑問なのですが(誰かを束縛しかねないため)、「行為を為すことがまた新たな何かに繋がる」と信じ、黙々と伝えていくものなのかな、と納得することにしました。
その話を聞いたり読んだりした人が、同じように自由を得たとしたら、発生した束縛も完全に解消されるはずですから。