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空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

主張の対象を生み出しているのが自分である可能性

 

いろんな人がいろんな形で主張しています。

 

政治家、評論家、知識人、著名人、個人……マスコミで、デモで、ホームページで、ブログで……等々。

 

それらのどこかに妙な違和感を覚えつつ、何がおかしいのかよくわからずモヤモヤしていたのですが、その理由がようやくわかってきたような気がしています。

 

それは

主張する対象や状況を生み出したのは、誰か、もしくは何かの組織のせいだけでなく、自分自身(の行為)のせいでもある

ということです。

 

自分の気に入らないものや状況を相対化して、論じ、それを変えようとする。

しかし、それを生み出した原因のひとつに自分自身が関わっているとしたらどうでしょう?

 

もちろん、直接的には関わっていない場合も多いのでしょうが、「巡り巡って」ということもあります。

 

本来、声を上げるべきだった時期や場所でそれをせず、人まかせにしたりスルーしたり。そういう消極的な姿勢が、予期していなかった都合の悪いモノを生み出す影の力になっている可能性は否定できません。

 

逆に、ずっと積極的に活動してきた、という人や団体・組織もあるでしょう。

しかし、この場合もまた、それらの活動に対するある種の「処置」として、新たに何か枷のようなものを創られてしまうことがあるかもしれません。

 

これらのことを考慮すれば、何かを改善しようとする時は、その対象を相対・敵対化して攻撃するだけでなく、自らのやり方や形を変えることも厭わないという姿勢で行動・主張していかなければならないのではないでしょうか?

 

何かを主張する人・団体・組織等の言葉の中に「闘争」というものを見かけることがあります。

本当に平和を求めている人々が、その言葉を見聞きした時、また、そういう姿勢を見た時どう感じることでしょう?

 

強く主張することももちろん大事ですが、「支持してくれる人を増やすこと」こそが目標により早く辿り着くために重要なことなのではないでしょうか。

 

 

 このブログを表している自らへの戒めも込めて、このエントリをまとめてみました。