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空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「人を幸せにしてはいけない」と資本主義は言った  資本主義の致命的な欠点

 

前回の更新では「社会主義共産主義の欠点」を挙げたのですが、今回は資本主義のそれについて考察してみたいと思います。

 

ものすごく単刀直入にいうと

「資本主義は人に幸せになってもらっては困るシステムである」

というひとことに尽きるのですが、その説明は後回しにし、まずはその「構造的な問題」の方から触れることにします。

 

 

資本主義を「資本の投入と回収」といった面で捉えてみます。

回収が投入を上回れば儲けが出てその活動を継続でき、下回れば資本が減少していきやがて活動を止めざるを得なくなります。

 

ということで、事業者は投資以上の回収を目指すわけですが、その活動が「行きつくところ」までいった時はどうなるのでしょう?

 

理解しやすいように具体例として「テレビ」を挙げて考えてみます。

 

①新発明品「テレビ」が創られる

それまでラジオによる音声のみの放送だったものが、モノクロ映像を伴ったテレビが開発、発売される。珍しさや面白さもあって、非常に高価ながらも少しずつ売れていく。

 

複数のメーカーで作られるようになり安価になる

価格競争もあって割安になっていき、一般家庭にも広がっていく。

 

③新たな技術開発がありさらに売れ続ける

モノクロ映像がカラーになったり、チャンネルの切り替えがリモコンで出来るようになったり、ブラウン管から液晶に換わることで薄くなったり、画質が向上したり等、新開発の技術革新によって、その都度需要が生まれさらに売れ続ける。

 

④人件費の安いところで製造することによりさらに安価になる

人件費の安い国で製造することでさらに安価になり好調な売れ行きをキープできる。

 

⑤技術開発の余地が少なく、また意味がなくなってくる

製品の成熟とともに、映像や音声に関する技術開発が限界まで近づくことによって、革新的な技術を生み出し難くなる。また現行品のレベルに満足している人にとってはそれ以上の開発(映像を綺麗にする等)をされても購買意欲には繋がらない。

 

⑥売れなくなる

一家に一台、一部屋に一台どころか一人に一台、パソコンやスマホタブレット等を含めると一人で数台の媒体によってテレビ視聴できるようになり、新たなテレビの需要はなくなる。またこの頃にはネットの普及によってテレビ視聴の習慣自体が減少している。

 

 

……以上のような感じでしょうか。

 

 この間(④~⑤の間)、アナログ放送からデジタル放送に変えるという、既存のテレビを全て買い替えさせる(もしくは対応部品を取り付けさせる)ような公的なアシストがあったりもしましたが、それも何度も使える手ではなく、現在に至ります。

 

 

まずは国内で売り、さらに海外へと展開、製造を途上国に移し途上国の需要も取り込みつつ、世界中に販路を広げる。

 

製品が完全に世界中に行き渡った後は、どこに投資しどこから回収するのでしょうか?

 

これはテレビだけでなく、スマホや車、その他の「モノ」においても起こってくる問題でしょう。

 

またモノだけでなくサービスといった分野でも同じことが起きると予想されます。

 

最近ではモノやサービス以外に、ITや金融分野における経済の存在感も大きくなってきましたが、それも「実体経済の上に」成り立つものであり、肝心の「実体」部分が疲弊してくるとまともに機能しなくなるでしょう。

 

 

資本主義は行きつくところまでいけば自ずと成り立たなくなるシステムである

 

そういうことなのかもしれません。

 

 

ただ、それが真実だとしても、それに「代わるシステム」が生まれない限り、使い続けざるを得ません。

 

当然、「資本主義が成り立たなくなるような状況」が近づけば、それに対処しなければいけません。

 

分かりやすい対処として考えられるのは「行き渡った状態を壊せばよい」 ということになるわけですが、そのために最も簡単で効果的なのが「戦争」ということになります。

 

最近の世界情勢がなんだか怪しい・危ういような感じになってきたのは、このことと無関係ではないような気がしています。

 

 

 

さて……

次は冒頭で述べた

資本主義は人に幸せになってもらっては困るシステムである」

ということについて触れてみたいと思います。

 

 我々がモノなりサービスなりを欲するのはなぜでしょうか?

 

「それを得ることで今よりもハッピーになれる」と信じるからではないでしょうか。

 

最新式の車、スマホ、家電製品を手に入れたり……

旅行に行ったり美味しいモノを食べに行ったりマッサージを受けに行ったり……

 

確かに心が躍り出します。

 

「それを手に入れさえすれば、それをやりさえすれば」楽しくハッピーになれそうな気がしてきます。

 

そしてそれが欲求となり、需要となり、供給が生まれます。

 

資本主義下だけの話ではないのでしょうが「本来は存在しない需要をむりやり創出させ」供給を造り出すことも普通に行われます。

 

新聞、テレビ、雑誌、インターネット……さまざまなメディアの番組・特集内容や広告等で、さかんに取り上げられる様々な新製品、サービスの情報―――それらに刺激されることで人々の欲求が生み出されるのです。

 

そのような形で「持っていない自分、足りていない自分に向き合わされる」時、人は自らの幸せを十全に感じ取れるものなのでしょうか?

 

いや、実際は「足りていない」のではなくて「足りていないと感じさせられている」わけなので、余計に幸せな状態から引き離されることになる、と言ってもいいのかもしれません。

 

供給のために生み出される欲求や需要。

 

その過程において、我々は常にアンハッピーだと感じるような状況に追い立てられているのです。

 

 

 

次は逆側から考えてみましょう。

 

もし、人が「何をしなくても」ハッピーな状態でいられるとしたら、どうなるでしょう?

 

「何をしなくても」とは「新製品を手にしなくても」とか「旅行や外食しに行かなくても」という意味で、消費活動とはまったく無関係に幸せを感じるとしたら、どうなるのか、ということです。

 

新製品を手にしてなくても、手にした時と等しくハッピーです

素敵なサービスを受けなくても、受けた時と等しくハッピーです

 

 ここに需要は生まれません。

 

あらゆるメディアによってなされる刺激に対して、反応がなくなるのです。

 

これまで長期に渡って(特に資本主義下で)成功してきたケースが、まったく通用しない状態が生じるのです。

 

なぜこんなにいいモノを買わないの?

なぜこれを手に入れないの?

なぜ旅行に行かないの?

なぜ外食しないの?

 

幸せだからです

 

 

ここにおいて、資本主義は完全に行き詰まります。

 

だから、資本主義下においては「人を幸せにしてはいけない」ということになるのです。

 

 

 消費という経済活動があなたの欲を満たし、なりたかった自分になれ、叶えたかった想いが解消するのです―――

経済も人も両方がハッピーになれそうなうたい文句ですが、それも「永続すれば」という条件付きです。

 

資本主義は「ひとつの夢が叶った後は、それに満足させることなく次の夢を見させないと続いていかない」のです。「手に入れたはずの幸せ(と思っていたもの)を忘れさせ、次の何かを求めさせないと成り立たない」システムなのです。

 

幸せになるために行っているはずの行為が、実はいくら続けても満たされることのないものだったとしたら、いったい誰がその行為を続けようとするのでしょうか?

 

 

最近は、スピリチュアル的な分野に注目する人が増えているそうです。

 

これは、モノやサービスでは満足できないことを知った人々が「その先」にあるものを探し出した、ということの現れなのかもしれません。

 

そして「その先」を人々が認識し始めた時、今よりもさらに資本主義が立ちいかなくなる状況が生まれ、「新しい何か」が登場せざるを得なくなるでしょう。

 

 

 

 

……ということで

 

今回、資本主義の問題点が如実に世界に開示されることになりました。

 

その大元の形が「人の飢餓感を煽ることで成長する仕組み」であり、設計段階において「人に満足感を与えてはならない、幸せにしてはならない」という命題を含んだシステムが永続するものなのでしょうか?

 

いずれ資本主義もその役割を終えることになるでしょう。

 

ただ、それはマルクスを始めとする(一部の)共産主義者が予想した「階級闘争」などといったものによるのではなく「人の心の在りようが変わることによってなされる」のだとSF的に予想しておきます。