空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

もうひとつの変革

超お久しぶりの更新です。

 

長く間が開いたため、もう更新されないのでは? と感じた人もおられると思います。

 

前回更新時には既に次回以降どのような内容を記していくか、大まかに決まっていたのですが、なんとなく自分の中のタイミング―――説得力的な意味合いにおける―――が来ていないような気がして、それが来るのを待っていました。

 

いくつか、自分なりのエポックメイキングな発見もあり、そろそろかな、ということでこの更新に至ります。

 

 

社会・経済システムのおかしなところを指摘し、変えていく。

 

それを主な目的としてこのブログを開設したのですが、ここにきて「変えなくてもいい」という考え方もあるということに気づきました。

 

 

ある視点に立てば、何を変えることなく十全なハッピーを得られる。

 

以前はなかった見方が自分の中に生まれたのです。(……とは言え、いつもそれを認識できるほどには至ってないのですが)

 

 

事件や事故、災害は、相変わらず多数発生し人々を困惑に陥れます。

社会や経済のシステム上に発生する諸問題もまた我々に混乱を与えます。

 

けれども、そいういったもの全部含めて俯瞰して眺めてみれば、全肯定の境地が見えてくるのです。

 

良いも悪いも全部ひっくるめて認識し、そこから少し離れて眺めると、「判断」はなくなり、ただ「存在」だけが残ります。

 

これは、別の表現をすれば「自我が治まっている状態」ということなのかもしれません。

 

 

「全てのものをただそのまま認識する時、変えるべきものは存在しなくなる」のです。

 

 「ある事象を『問題』として捉えれば問題になり、捉えなければ問題にはならない」のです。

 

 

論理のすり替え、的なイメージを持たれる人も少なからずおられるでしょうが、結局、それを問題視しているのは誰(どんな存在)なのか、しっかり見つめてみるとわかってくるように感じます。

 

それをあなたに(自分自身に)意識させる存在は、いったいどこに居るのでしょうか?

 

そのあたりの機構を知り、機微を感じ取り、対応できるようになるなら、人はさまざまな現実的な問題から解放されることとなるでしょう―――その問題自体は相変わらず存在していたとしても―――

 

 

これまでの世界で『変革』と呼ばれた事象は数々あれど、だからといって、世界はそこまで良くなってはいない―――それが事実だとするなら「これまでと同じ考え方」で「これまでと同じやり方」を試しても、さほど意味はありません。

 

むしろ

「それは………」とか

「まったく納得できない、理解できない」

と誰もが困惑するくらいの理論を展開した方が、望みのものにたどり着きやすいのかもしれません。

 

 

………

 

めっちゃ久しぶりに更新されたと思ったら、オカルト・スピリチュアル的論理展開が濃過ぎて、不安感やトンデモ感を与えているような気がしないでもないのですが笑、たぶんこういったことも必要だということなのでしょう。

 

「全てのものを認める、肯定する」というのは、言うだけ(書くだけ)なら簡単なことなのですが、実際はそう容易なことではありません。

だからこそ、そこに至る時、まったく新しい境地にたどり着けることが期待できるのです。

 

何を望まなくても、何が起こっていても、何を変えることがなくても、ハッピーは得られる。

 

……ということを認識しつつも行動は続ける。

 

その結果、実際の社会や経済が(大きく)変化していくさまを眺めていく、というスタンスでブログを更新していきたいと思っています。