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空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

共産主義も資本主義も人の為には存在していない

経済・資本主義の次

前々回は資本主義の、その前は共産主義の問題点を取り扱いました。

 

それぞれに違ったタイプの問題を抱えていて、どちらのシステムを選択しても、いずれ立ち行かなくなる時がくる。

 

そんな印象を受けました。

 

 

解決策として、問題とされる部分を修正するか、抜本的に変えればよいように感じます。

 

実際、政治家や官僚が主導し、新たな法律を作ったり、制度を変えたりといった対策が取られていくわけですが、それでも完全にはその問題を消し去ることはできません。

 

 

 なぜなのでしょうか?

 

それは

共産主義においても、資本主義においても、それぞれにおける具体的な問題以外に、共通した何らかの問題を抱えているから、なのかもしれません。

 

どちらの制度においても、具体的な問題については対処が可能です。

この問題に対してはこうして、あの問題に対してはこうする、といった具合に。

 

前例のないような事案、想定外の出来事に関しては、手探り状態でそれを行わなければならず、あるいは間違った対応が取られることもあるかもしれませんが、またそれを修正し善処することは可能です。

 

しかし………

 

もしそのような形で全ての問題に対処できるものなのだとしたら、時間の経過と共に世界は良いものになっていくはずです。

 

ところが、どうもそうなっていない。そうなっていく気配がない。

対策をとっても直らない、キリがない。

根本的な部分で、常に何らかの問題を抱えているような状態がずっと続いているのです。

 

経済も政治も外交も、何も問題なく平和で好景気が続いている。

 

なぜ、このような状態を創れないのでしょうか?

 

 

これは、共産主義も資本主義もその設計部分において致命的な欠陥を抱えている、ということに他ならないのかもしれません。

 

その欠陥とは何か?

 

どちらのシステムにおいても「人々をハッピーにする」という視点が土台になっていない、ということです。

 

いや、共産主義にも資本主義にも、その視点はあって(特に共産主義はそれが大元の理念とされている)そのように諸事が為されている、という主張はわかります。

 

 

しかし、実際にはそうなっていないのです。

 

大元の理念とか関係なく、なにか「別のもののために」様々なことが行われているのです。

 

その「別のもの」とは何かを考えてみると、やはりお金や権力といった個人や団体・組織の欲望を満たそうとする物事のように感じがちです。

しかし、さらに深く感じてみると、それら以上に「そのシステム自体を永続させようとするため」に様々な対処が為されているように見えてきます。

 

つまり、

共産主義も資本主義も、個人の幸せとかどうでもよくて、自分自身が続いていけばいい、という前提で存在している、のです。

 

そのシステムは「そのシステムを永続させるため」に様々な行為を人に行わせている、という形になっているのです。

 

自己保存のために利用できるものは何でも利用する。

もし争いや困窮がそれを担うなら、それまで利用する。

 

だから、ある問題に対して、どのような対策が講じられたとしても、また別の問題が起きてきて解決されないのです。

第一に考えられているのは人の幸せではなくシステムの維持だからです。

ひとたびシステムの維持が危ぶまれれば、存在しない問題をも創り出して自己保存を図るのです。

 

ただ、あまりに酷い状況を作り上げてしまうと、抜本的に対策され、自身の存在が危ぶまれるため、見た目上は美しく華やかで壮大なものをあちこちに散りばめます。

 

政治、経済、外交、エンターテイメント……

 

さらに、人々に夢を見させもします。

 

「努力すればこんなに……」とか

「〇〇〇〇〇ドリーム」とか

「コツコツやればいつかは……」とか

「今積み立てておけば……」とか

 

将来、良いことが起こると想わせることで現状の不満を抑え込み、システムは人々の夢と共に存続することが可能となるのです。

 

 

このことがもの凄く難しい問題なのは、政治家にしろ官僚にしろ学者にしろ活動家にしろ市井の人にしろ、みんな「誰かの幸せ」を思っていながら、結果的に「システムのため」に行動するはめになっていることに気づいていないということにあります。

 

 本当に変える部分が何であるのか把握しないまま行動・対処してしまうために、どれだけ本気でどれだけ頑張っても真の解決には至らないのです。

 

 

 さて

それじゃあどうすれば? ということになりますが、これはただ「人々(全員)のハッピーを増やしていくことを一番の根っこにした新たなシステムを産み出す」だけです。

 

この形のシステムなら、もし「システムが自己保存のために人々を利用する」のだとしても、そうすればするほど人々がハッピーになっていくからです。

 

 

今まで―――共産主義や資本主義下においては―――誰かが得する時、必ず誰かが損してました。

 

しかし、次に来るシステムでは、誰かが得をする時、他の誰かも得するのです。

 

そのような形にシステムを設計してしまうのです。

 

そうすることにより、人々のハッピーが増えることはもちろん、システム自体の永続も可能になります。

 

 

どうでしょうか?

 

夢想と言われればそれまでですが、これぞオカルトの真骨頂、真の意味における錬金術に他ならないかもしれません笑。

 

 

これまでにない、まったく新しいシステムということで、いろいろと問題が持ち上がってくるとは思いますが、やはり一番に考えられるのは「より多数のハッピー」です。

仮にそれからズレるような兆候が見られ、実際に何らかの解決できそうにない問題が発生したならば、躊躇せずそのシステム自体を放棄し、また新たな形を模索していけばよいでしょう。

 

 

全員の幸せを考える上で懸案なのが、資本主義者と共産主義者、保守的な人と革新的な人、右寄りな人と左寄りな人等、さまざまな対立軸が存在していることです。

「対立し合う人々も含めた全員の幸せ、ハッピー」なんて無理な話のようにも感じてきます。

だからこそシステムだけを変えようとするのではなく「心」の部分も変えていくのです。

 

 以前のエントリ(「このブログが書かれていく度……」)にも書いてます。

 

「社会・経済システムの転換によってハッピーになる」のではなく「条件なしにハッピーを感じることができるから、古いシステムが成り立たなくなり、システムの転換が起こる」のです。

 

 

もし、共産主義社会主義、そして資本主義の次のシステムが登場するとすれば、それは頭で考えられたり分析されたりした結果として出てくるのではなく、心の働き、もしくはそれを超えた何らかの知識が世界に広がることによって出現する、とSF的に予想しておきます。