空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「経済」が人の幸せを阻害する時代  新しい胎動が始まる

 

2015年の4月1日から始めたこのブログも、4回目の4月1日を迎えました。

 

始めの2年間は、1日に数人ほどしか訪問者がいませんでしたが、去年「与配主義経済」「順番決定制度」「全員公務員社会」等のアイデア(idea)を披露してからは、たくさんの方が訪れてくれていて、総アクセス数は1万2000を超えました。

 

これは

0が1になり

1が1000になり

1000が12000になったことを現しています。

 

このことについては、また後で触れることとします。

 

 

 

4回目の4月1日は、まず「経済」というものについてあらためて考えてみたいと思います。

 

「経済」っていったい何なのでしょうか?

 

「経済」はWikipediaによると

「社会が生産活動を調整するシステム。あるいはその生産活動を指す」

というものだそうです。

 

個人的には、ここに「お金を介した価値の交換」といったような意味の項目を追加したいのですが、それでは、いったいなんのために「生産活動をしたり、その調整を行ったり、価値の交換をしたりする」のでしょうか?

 

突き詰めてみると

「人が今よりも幸せになろうとするため」

ということになるでしょうか。

 

生産活動をして何らかの価値を生み出し、それを交換し合うことで、別の価値を手に入れていく。

自分にとっての利益が最大になるように、その生産活動の調整を行う。

 

これらのことはつまり

「生産やその調整、交換を介して自らの利益を増すことにより、自分の欲するモノなりサービス等をより多く手に入れようとする」

ということを意味しています。

 

このような形で、人は経済活動を通じて自分の欲を満たし、幸せを得ようと試みるのです。

 

 自らの幸せを増すために、より高度な経済活動を目指していこうとするわけです。

 

 

ところが……

最近の「経済」はどうなっているのでしょうか?

 

本来、人が幸せになるために行われるはずの「経済活動」が、逆に人の幸せを阻害するものとして存在し始めているように感じられませんか?

 

「経済」のために、政策が決められ

「経済」のために、これまで何も問題がなかったところに問題が生まれ

「経済」のために、人が酷使され疲弊していく

 

逆なのではないでしょうか?

 

人のために経済はあるべきです。

 

「経済」という言葉の語源は、Wikipediaによると

「日本語の「経済」は英語の "economy" の訳語であるが ──── (中略) ──── 、漢語における「経済」は、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略語であり ──── (以下略)」

とのこと。

 

「経済」の語源には、「世の中を治め、人民を救う」という意味がはっきりと含まれているのです。

 

「経済」のために国策を決めたり人を使ったりするのではなく、「人」のために経済や国策を決めるべきなのです。

 

 

では

なぜそれができないのか?

 

 

それは

国策を担う者(政治家、官僚)や、経営者や、その他の労働者を含む一般的な人々 ──── つまりほとんど全員(注:筆者も当然含まれる笑) ──── が「経済的な成功こそが幸せをもたらす」とカン違いしているから、です。

 

確かに経済的な成功はある種の幸せをもたらします。

 

欲しいモノやサービスを手に入れられ

社会的地位やステータスを得られ

多くの利便性を享受できます

 

経済的な成功 ──── お金をたくさん得ること ──── が幸せに結び付くと考えるのは間違ってはいないでしょう。

 

 

ところが……

 

ここに大きな落とし穴が存在しているのです。

 

 

欲しいモノやサービスを手に入れ、ステータスを獲得し、利便性を享受するためには ──── お金が必要だ

 

(だから「経済」は重要で、そのためにさまざまなことが成されるべきである)

 

こう考えることが、すべての元凶となり、さまざまな間違いや矛盾を生み出しているのです。

 

 

こう考えることの何が間違っていておかしいのか?

 

 

それをここでは、常識を超えた捉え方、異常な(常ではない)観点で視てみたいと思います。

 

それは……

 

モノやサービスを手に入れるために

なぜ「お金が必要だ」と考えなければならないのか?

 

ということです。

 

 

確かに

資本主義はもちろん、社会主義共産主義においても「お金」を介して価値の交換が行われています。

 

だから「さまざまな欲求を満たすためにはお金が必要だ」と考えるのは当然のことなのですが、そのように短絡的に捉えるということは、実はもの凄い「洗脳された状態」であり、「真の意味で人類が幸せを得る」ための足かせにしかなっていないのです。

 

 

では、どうすればいいのか?

 

 

それは……

 

欲しいモノやサービスがあるのであれば

「まずお金を手に入れて……」と考えるのではなく……

 

「モノやサービスを(お金を介さずに)直接手に入れることのできる『システム』を創ろう!」

と考えるべきなのです。

 

 

モノ ⇔ お金 ⇔ 自分  ではなく

モノ ⇔ 自分

という世界を「創ればいい」のです。

 

 

 

……いや、

もちろんコレがトンデモ論だとは(充分に)わかっているのですが笑、だとしても、それを産み出すことによって得られる魅力を考えれば、考察せずにはいられません。

 

また、「時代」的にも、そのような時が来ているのではないのかな、と感じさせる現象が起きています。

 

例えば、製造業。

 

これまでは安泰だった大手企業が、為替差損益や海外企業との競合、そして「製品が売れない」といった現象によって、部門ごと、果ては会社丸ごと身売りするケースが後を絶ちません。

 

一定の需要がある上で、造ったモノもあるのに「売れない」という状況は、モノ自体に価値がないのではなくて、「その価格では買わない、買えない」ということを意味しています。

 

これは、需要に対する価格がマッチしていない、ということを現しています。

 

・原価(その製品を造るために掛かった費用)から、儲けの部分をプラスして価格(卸値)を決めるわけですが、その価格が消費者の希望にそっていないと売れない

 

・造ったものをとにかくさばこうとすれば価格を下げざるを得ず、赤字になってしまう

 

このジレンマの中で企業はもがくわけですが、

そもそも

「造ったモノが既に存在しているのに『儲けるための価格を設定し、それを顧客が受け入れなかったら売らない(売れない)』という設定は、正常な感覚といえるのでしょうか?

 

もちろん、資本主義的にはあたりまえのことです。

 

「儲けるため」にすべての行為が成されるわけですから、儲けの出ないことはしないし、するべきではありません。

 

しかし

「欲しい人に売るために造ったけれども、儲けを出すために売らない」という行為は、明らかに本末転倒であり矛盾しています。

 

 

そこで……

 

登場するのが

「与配主義」なのです。

 

(与配主義については、以前の更新「マルクス、ケインズ、そして……  資本主義の次のシステムはこうなる! かも」「与配主義における経済の流れや価値の捉え方について」等を参照してください)

 

資本主義で生じる「造ったけども儲けるために安くできない(結果売れずに在庫となる)」という現象を、与配主義では完全に解消できるのです。

 

 

今の時代、「欲しい」と思う人全員にそれを配るための、原料や生産設備、生産技術、生産力(労働力含む)は既にほとんど存在しています。 

 

よって、与配主義においては

・欲しい人の数を調べ、その数ぶんだけ造り、それを「与える・配る」

 

・「与えたり配ったりした量(数、規模、労力、エネルギー等を考慮する)」に応じて、全体(ひとつの大きなお財布)から、その会社なり個人に報酬(順番決定ポイント)が与えられる

 

ということにより、

欲しい人のために造ったモノが、欲しい人全員に行き渡る、のです。

 

 

本来は、配るという行為が無料で行われるのですが、そうしてしまうと

 

モノを手に入れたあと、すぐ捨てたり

同じようなモノを際限なく集めたり

 

といったような弊害が生まれてしまうため、それを防ぐために価格的なもの(順番決定ポイント)が決められます。

(貨幣制度に代わる順番決定制度(順番決定ポイント)については、与配主義と同様に「マルクス、ケインズ、そして……  資本主義の次のシステムはこうなる! かも」「与配主義における経済の流れや価値の捉え方について」を参照してください)

 

 

ここで

与配主義における順番決定制度について具体例を挙げてみましょう。

 

例えば、新車の購入について。

 

その新車の価格は、それを製造する会社と中央銀行的な存在が話し合って決めます。

 

発売前の一定期間内に、購入希望者は購入の意思をディーラーに伝える(応募する)ことになります。

 

このことにより、その車が何台くらい売れるかほぼ正確な数値が割り出せ、それに掛かる費用から、一台当たりの販売ポイント(価格)が決められます。

 

事前応募した人は、持っている「順番決定ポイント(資産)」の高い順にソート(並べ替え)されます。

 

そして、その順位が1番の人から、新車が配られていくのです。

 

申し込みの早い人ではなくて(←重要)順番決定ポイントが1位の人が最も早くモノなりサービスを手に入れられる、というのが順番決定制度の大きな特徴となります。

 

 

「お金」に代わるこの「順番決定ポイント」は、さまざまなメリットを持っています。

 

 

ひとつは、年始の福袋や、新製品の販売等において「欲しい人は炎天下や厳冬期に何日も前から並ばなければならない」といったことが一切必要なくなる、ということです。

 

これまでの資本主義下では、その商品に魅力があればあるほど、転売をもくろんで「本当は欲しくもない人」がその列に加わってきました。

 

そのことによって、本当に欲しい人の手には渡らず、それを売ることによって儲けようとする人の手に渡り、その後、定価以上の価格でオークション等で売られてきたのです。

 

順番決定制度においては、新製品や福袋、コンサートのチケット等、発売日が決まっているうえに数に限りがあるような商品は、事前に申し込んでおくだけで順番通りにそれが受け取れるのです。

 

 

また、別のメリットとしては

順番決定ポイントは、単に「配る順番を決めているだけのポイントである」ということがあります。

 

よって、そのポイント数が少ない人でも「順番さえ待てば、そのモノが手に入る」のです(それを手に入れるために必要なぶんの順番決定ポイントがなければなりませんが)。

 

 

そして……

最大のメリットとして、

順番決定ポイントは

社会に対して多く与えたり配ったりした会社や個人が、より多くのポイントを(中央銀行的な存在から)与えられる

という規定から生じる、以下のような点が挙げられます。

 

順番決定ポイントをたくさん持っていて、さまざまな利益を享受できる人というのは、

ものすごく多くの人(社会)に対して

ものすごく多く与えた人

ということを表しています。

 

資本主義における「お金持ち」には、たくさんの人々からお金を巻き上げた人や、詐欺や窃盗、強盗、脱税等によって不正に富を蓄積した人等もいるわけですが(もちろん誠実にお金を貯めた人もいますのでその点は忘れないようにしたいところです)……

 

与配主義における「ポイント持ち」には、人々の称賛や尊敬を集める人物しか存在し得えない、ということになるのです。

 

 

ということで

順番決定制度において、その頂点に来る人は、人や社会に対して「最も多く与えたり配ったりした存在」

ということになります。

 

そして、その人が、最も多くの利益(順番なり量なり)を得られるのです。

 

 

このようにシステムを設計しておくことによって、

モノやサービスをたくさん欲しい人は

モノやサービスを他の人や社会に対してたくさん与えたり配ったりする存在となります。

 

すなわち、ここに

「お金を介さなくても、だまっているだけでモノやサービスが得られる社会」

が完成するのです。

 

わたしはアレが欲しい。だからコレをみんなに配ろう。与えよう。

 

「これあげるから。受け取って!」

「お願いします! お願いですから受け取って!!」

 

みたいな、今までの世界とは逆の形の、コントみたいな光景が広がることとなるのです笑。

 

 

資本主義においては

自分の欲望のままに儲けようとすれば、他の誰かから、無理やりでも奪い取るような社会となってしまいます。

 

共産主義においては

自分の欲望を叶えようとする行為自体が、共産主義の原理に反してしまう、ということになってしまいます。

 

ところが

与配主義においては

「アレも欲しい コレも欲しい 全部欲しい~~」

と欲ばった人がその欲を満たすために何らかの行為を為せば為すほど、その人自身が満足できる状態(お金持ちならぬポイント持ち)になっていくのはもちろん、他の人や社会までが勝手に潤っていくのです。

 

凄くないですかこれ?笑

 

 

ただ……

これは「働かなくてもモノが手に入る」ということではありません。

 

資本主義と同じように、基本的には「労働への対価」として順番決定ポイントが与えられるからです。

 

その労働が、誰かの、あるいは社会の要求に応えていればいるほど、たくさんのポイントが与えられるのです。

 

このポイントは中央銀行的なところから直接支給されることとなります。

 

資本主義下では、

中央銀行市中銀行→企業→従業員 といったお金の流れがありましたが、

 

与配主義下では、

中央銀行的な存在→個人 に直接ポイントが配布されるといったように、無駄な部分が排除されることとなります。

 

(このことについてはまた後の更新で詳しく触れます)

 

 

また、

この与配主義の形は、これから来る「資本主義では対応できない」場面でも効果を発揮することとなります。

 

その場面とは、「AIとロボットの進化」です。

 

これからますますAIとロボットは進化していきます。

 

その能力が人間と比べてどうなのかということを、チェスや囲碁、将棋ソフトの強さによって知ったという人も多いのではないでしょうか?

 

それがさらに進化するのです。

 

 

しかし、そのことによって、ある種の問題が発生します。

 

これまで人間が行ってきた仕事を、AIやロボットが担いだす時代がやってくるのです。

 

資本主義や共産主義においてはそれが恐怖となります。

 

なぜなら、そのことによって人間の「仕事」が奪われるからです。

 

資本主義や共産主義において、今の制度のまま何も対策が執られないと、多くの人が仕事を奪われ、収入を得る機会(賃労働)や収入が減ってしまうこととなるでしょう。

 

 

ところが

与配主義ではそうはならないのです。

 

価値を生み出す存在(AIやロボット)が新たに創られることによって「人間が労働から解放される」というように受け取れるのです。

 

与配主義においては

AIやロボットが人間と同じ仕事を出来るのなら、なにもその仕事を人間がやる必要はない

ということになります。

 

なぜなら

与配主義では「与えたり配ったりすること」がシステムの基幹にあるため、それを人間が造ったかどうかに意味を見出さないからです。

 

AIやロボットの労働に対しては、対価を与える必要がないために、それによって生み出された価値は、そのままそれを欲する人や社会に与えられるのです。

 

「でも、より多くのポイントを欲しい人はどうやって稼ぐ(与える)のか?」

 

この場合、その時点におけるAIやロボットが出来ないことを仕事にするしかないかもしれません。

 

そこからさらにAIやロボットが浸透した場合、一般的な人にとっては、もう「稼ぐ」とか、「(人間が)配る・与える」といったことを考える必要がなくなるでしょう。

 

そのような状態になったとすれば、AIやロボットの活躍によって、ほぼ完全に「なにもしなくても欲しいものがなんでも手に入る」状況が生まれていると考えられるからです。

 

ただ、それでも順番決定制度下で「受け取る順番」を決める必要はあるでしょうから、その場合は「宝くじ」でポイントを配布する、なんていうのもいいかもしれませんね笑。

 

 

はい。

 

というわけで、今回、大雑把ではありますが、与配主義と順番決定制度というシステムの細部が示されました。

 

今後の更新でさらに詳しくその中身に触れていくつもりです。

 

 

ということで……

資本主義とか共産主義社会主義といった既知の社会・経済システムとはまったく違う形の「与配主義」というシステムを構築しつつあるわけですが……

 

はたして

本当にそんなものが次の「システム」となり得るものなのでしょうか?

 

 

個人的には

必ず為る と思っています。

 

 

これは

ただ単純に

与配主義が他のシステムと比べて明らかに良いと感じるから

というのが理由のひとつですが、

それとは別に「ある根拠」があるのです。

 

 

その根拠とは

エントロピーは増大する」

ということです。

 

 

物理学に熱力学という分野がありますが、その第二法則と呼ばれるものにエントロピー増大の法則」というものがあります(説明しづらいので興味ある方は各自調べてみてください)。

 

ここで

「モノを手に入れる過程における『手段(お金・ポイント・その他)の獲得』に費やされるエネルギー」のエントロピーについて考えてみます。

 

人が労働に割ける力は限られている(閉系)ことを考慮しつつ、それぞれのエントロピーを比べてみると

 

与配主義>>>(省略)>>>資本主義>>社会主義>>共産主義

 

という図式で表されます。

 

(省略)の部分には同じ向きの不等号が無数に並びます。

 

共産主義では何よりも労働が貴ばれます

社会主義では少し自由度が上がり……

資本主義では投資や不動産所得等の不労所得が完全に認められ

与配主義ではだまっていてもモノが手に入るようになります

 

以上のことより、

エントロピー増大の法則に従って、この世界の社会・経済システムは自然にオートマチックに資本主義から与配主義に代わる

のです。

 

これは労働という分野以外においても、同様となります。

 

 

これまで、社会を変えようとする時、人々はどうしてきたでしょうか?

 

集い

シュプレヒコールを上げ

デモをし

テロをし

革命をして来ました

 

 

与配主義においては

その成立を願う時、これまで行われてきたそれらの行為は一切必要ありません。

 

なぜなら、

何もしなくても、ただ「そうなればいいな」と思っているだけで、自動的に資本主義から与配主義に代わるから

です。

 

 

ただ

「このブログが読まれていく」だけで、自動的に与配主義になっていく

のです。

 

 

ここで

冒頭の話題に戻ります。

 

ブログの総アクセス数が1万2000を超えました。

 

これは

0が1になり

1が1000になり

1000が12000になったことを現しているわけですが、

 

このこともまた、エントロピーの増大を意味します。

 

この世界に新たに産み落とされたアイデア(idea)は

0が1になったことを示していて

そこからマイナス方向に進むことは有り得ません。

 

一度そのアイデア(idea)を認識した人は「それが存在していない」という認識には立てなくなります。

 

よって、

このブログを読む人が多くなればなるほど、与配主義を知る人が多くなればなるほど、エントロピーは増加していく

のです。

 

 

そういう意味において、これはただ「拡がるだけの物語」です。

 

ただ拡がっていくだけで、

ただ人に知られていくだけで、

その世界が勝手に向こうから近づいてくるのです。

 

 

今はまだ、このブログ上だけで展開されている与配主義や順番決定制度という新たなシステムが、他のブログやメディア等で取り上げられ検討されるようになると……

 

その世界は、加速度的に我々の社会へ近づいてくることでしょう。

 

(トンデモ論として取り上げられた場合は別です笑)

 

 

ということで……

 

トンデモであることを強調すると共に、

4月初日の更新であることを強調しつつ← 

今回の更新を終わりにしたいと思います。