空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「現状」以上をモノに求めるのか、形而上に求めるのか、ということ

 

前回の更新(「流転する幸せ と 絶対的幸せ ──── その狭間から抜け出す時」)において

「記事中にもう少し掘り下げてみたい部分がある」と書きましたが

今回はそれを取り上げることにします。

 

前回の更新では 

どのような生き方が人の幸せに繋がるのか? という問いに対して、

 

・欲しいものを出来るだけ多く、大きく勝ち取り、欲しないものを遠ざけることによって、常に強い幸せを感じていくことを目指す人生

 

・どれだけ欲するものを手にしても、いずれそれに飽き足らず、また別のものを求めてしまうという虚しさを捨て、現状(もしくは何らかの存在)に満足することで、上げ下げのない安寧で恒久的な幸せを目指す人生

 

といったふたつの形が提示され、

 

「永続する幸せ」といったようなものに達するには、結局後者のような形を選ばざるをえないのではないか?

といったことがまとめられました。

 

このことに関して

同じような内容のことが

宗教、哲学、心理学、スピリチュアル、生き方指南、その他、

様々なジャンルの本やホームページ、ブログ等で言及されています。

 

そのことは

前回の内容が

「恒久的な幸せとは?」という問いに対する一般的な答えとほぼ相違ないことを示しており、そういう意味では安心感を与えもしますが

「それだけではダメなんだ」という新たな問題をも浮かび上がらせることになります。

 

というのは、

「現状に満足することで安寧な幸せを感じていく」ということが

宗教や哲学、生き方の模索等を通して

長い間

世界中で考えられ

さまざまなメディアによって言及されてきたのにも関わらず、

それがほとんど浸透していない、という事実が浮き彫りになるからです。

 

 

「現状に満足することで安寧な幸せを感じていく」ということが

人々の中に共通の認識として根付き、実行できているのなら

世界はもっと安定して穏やかなものになっているはずです。

 

しかし 

実際はそうなっているようには見えません。

 

ということは、

 

そのように言及された内容自体を理解できていたとしても

それを実行できるかと言われると………

 

ということなのかもしれません。

 

これまで、さまざまなジャンルで同じように触れられてきたこと

──── 現状に満足して幸せを感じていく、ということ ──── は、ただそれだけでは実行できないほど難易度が高いことなのかもしれない、ということになります。

 

そしてそのことは

誰に聞くまでもなく容易に理解できることでもあります。

 

 

(より高い地位に就いて……)

(もっと資産を増やして……)

(自分好みのモノゴトを身の回りにたくさん集めて……)

 

 

常に心は「現状以上」を求めます。

 

心の働きは際限なく

「もっと」を追求します。

 

このことは

人間のみならず

他の動物たちにおいても同様で、

縄張り意識・争い等を考慮すれば

すべての「生き物」が免れることのできない感覚なのかもしれません。

 

このことより 

「現状に満足することで幸せを感じていく」という考え方において、

生き物の性としてそれを成立させることが難しい

ということが理解されるわけですが、

実際は「それだけではない」可能性もあります。

 

「それだけではない可能性」とは

ただ単純に

「これまで解説されてきた諸説には

何か根本的に足りない部分があるのかもしれない」

ということです。

 

 

というわけで………

 

そのことを考慮して

前回の更新では

「これまでの諸説に足りていなかったと思われる部分」を

カッコ付けで補足することにしたのでした。

 

そのカッコとは

 

現状(もしくは何らかの存在)に満足することで、上げ下げのない安寧で恒久的な幸せを目指す人生

 

のうちの

(もしくは何らかの存在)という部分になります。

 

この部分は

これまでの「現状に満足して幸せを感じていく」系の解説にはなかったであろう部分だと思われます。

 

というのは、

これまでの解説における

【現状に満足して】という部分の「現状」とは

「現世に展開されている今の状況」ということを意味していて、

「3次元的に示される現世」すなわち「物質界」を対象としたモノの捉え方によって展開された理論なわけですが、

それだけだと

実際の世界では、どうもうまくその内容が示す「本質的な部分」が機能していない、と考えられることから、

「3次元的に捉えられる現状」以外の「何か」を見つけ出す(知る・体感する)必要性があるのではないか、という意味を込めて、

「現状(もしくは何らかの存在)」というような形で、

「何らかの存在」という

ある種あいまいな、

しかしこれまで言及されたことのない文言を付属することによって、

今まで出来なかったことが出来るようになったり、到達できなかったところへ行けたりするかもしれない、と考えたのです。(←長い)

 

 

このことは結局

前回、前々回の更新で示されたことと同じく、

 

恒久的な幸せとは

3次元を超えた世界、形而上的にもたらされる何か、を

得る、知る、体感することによってしか

掴めないものなのではないか?

 

ということを意味しています。

 

 

これまで

さまざまなジャンルで言及されてきたこと ──── 現状に満足して幸せを感じていく、という表現 ──── だけでは、この世界に生み出し得なかった形、

それを実際に現出させるため、

さらに

3次元を超えて

形而上的にもたらされる何かがある

という概念を付属する必要性があるのかもしれない ──── 

 

その

形而上的にもたらされる何か、は

人間の普通の感覚(五感)では捉えられないものであるが故に

言うほど簡単に到達できる概念ではないのですが、

そこに辿り着かない限り

恒久的な幸せ、絶対的な幸せといったものが得られないとすれば

簡単ではないとわかっていても目を向けざるを得ない、ということになるのではないでしょうか。

 

 

現代社会の状況として、

世界的な規模で

政治や経済、外交、自然環境等、あちこちにおける「軋み(きしみ)」がだんだん激しくなってきています。

 

そんな中でもテクノロジーは発展し、新たな利便性が生まれてくると同時に、また、それによる「歪み」も生み出されてきています。

 

それらは全て

3次元的に展開されている物事です。

 

そこに集中して

その都度勝利を収めようとするのも良いのですが

仮に

3次元的に得られるモノよりも

素晴らしいものが別の世界にあるとしたら、どうでしょう?

 

3次元的成功に集中し拘泥するほど

その「別の世界」を知る機会を失ってしまうことになります。

 

 

「恒久的・永続的な幸せ」というものを考える上で、

これまでの世界と同様に

現世利益的な

3次元的成功を目指すのか、

あるいは

五感によっては想像すらできなかった世界を

探し、見つけ出し、それと共にあることで

目には映らない幸せを感じていくのか、

選ばなければならない時代が近づきつつあるのかもしれません。

 

それは

どちらが勝ちだとか

どちらが正解だとかということではなく、

「(本当の)自分」が「何を求めているのか?」をはっきりと見極め、

それを獲得できたか否かが自分自身によって問われるという

「生き方の自己採点」のようなものであり、

その出来は、ごまかしようなく自分自身に対して明らかにされるものなのだと思われます。

 

 

……ということで……

 

今回の更新で

「現状に満足して幸せを感じていく 」というだけでは足りないと思われること、

「現状(もしくは何らかの存在)に満足することで……」という部分のカッコ内の解説が為されたわけですが、

改めて考えてみると

(もしくは何らかの存在)ということを付加した時点で

既に「現状」ではなくなっている、ということになるのかもしれません。

 

 

そのことより、

「現状に満足して幸せを感じていく 」という

これまで広く言及されてきたことでは実現できなかった世界を、

(何らかの存在)という

3次元を超えたところに在るであろうものを知る(体感する)ことで、ようやく現出できるかもしれない

という新しいアイデア(idea)を示しつつ

今回の更新を終わりにします。