空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「資本主義の象徴」自体が 「資本主義の意義」を否定する現象が現れ始めた

 

このブログでは

資本主義や共産主義に代わる新しいシステムを模索していて

それらの代わりになるものとして「与配主義」

貨幣制度の代わりになるものとして「順番決定制度」というアイデア(idea)を考案してきました。

(「与配主義」「順番決定制度」参照)

 

現在の世界情勢(資本主義と共産主義のみで語られる世界)において

仮にそのような新しいシステムを産み出したとしても

単なるオカルト・トンデモ論としてしか扱われないかもしれませんが、

個人的には

いつか必ずそう為る(与配主義もしくは与配主義的なシステムになる)

と想っています。

 

もの凄くフラットに考えてみても

そう為らないわけがない、と断言できる(根拠割愛)ので←

次に予想するのは

「どうやってそのアイデアはこの世界に広まっていくのだろう?」

ということです。

 

このことについては

過去のエントリでも何度か言及してきましたが、

デモとかテロとか革命とか選挙等、

これまでの世界であたりまえのように行われてきた方法(だけど真の変革には辿り着けなかった方法)によるのではなく

人が「資本主義や共産主義のような古いシステムではもうダメなんだ(本当の幸せには到達できない)」と気づくことによって自然に変化していく、のだと予想しています。

 

そこで、

「それじゃあ 資本主義や共産主義の終焉を迎えるにはどうしたら?」

ということになるわけですが

 

その答えとして

① 資本主義や共産主義等の、システムの在り方やシステム内での成功によっては「本当の幸せ」に辿り着くことが出来ない、という事実を認識する

② システムとは無関係に幸せを感じられるような世界(境地)を見い出す、ことによって、それぞれのシステムに依存する人が減っていく

③ そのことによって、既存のシステムは自ずと成り立たなくなっていき崩壊する

といったことが予想されました。

(「本当の幸せ、本当の自分 ──── 資本主義と共産主義、宗教、オカルトを超えた先にあるもの」参照) 

 

 

以上のロジックにより、

最近のこのブログでは

「まずハッピーになりましょう」

ということを目指して、さまざまな観点からそれに迫っていこうと目論んで更新されています(遅々としてますが……)。

 

 

さて……

前置きが長くなりましたが

今回のエントリでは

その目論見から少し外れることにします。

 

というのは

「やっぱり資本主義では幸せになれないらしい」

 というような事例が

最近目立ってきていることから、

 

今回は

ハッピーになることを目指す、のではなく

ハッピーになれない資本主義の事例、について

考察していくことにします。

 

 

ただ

その前にひとつ……

 

このブログでは

なるべく固有名詞(企業名や個人名)を出さないようにしています。

 

これは

記事の内容によって

読者のさまざまな判断に何か特定の力を与えたくない、というところから来ています。

 

今回のエントリでもその形を踏襲(とうしゅう)しますが

そのために多少読み取りづらい部分があるかもしれないことをあらかじめご了承ください。

 

 

・事例その1

情報革命をうたいM&Aで巨大化したIT企業の創業者かつ代表の方が言う

「日本は既にAI後進国になってしまった」

「投資する価値のある企業が国内に見当たらない」

といった不満。

 

・事例その2

地方の一企業から世界規模のカジュアルファッションチェーンに成長させた方が言う

「企業のIoTやAIへの取り組みが遅い」

「日本は先進国から中位の国になっていて、さらに発展途上国になる可能性がある」

「このままでは日本は滅びる」

といった不満。

 

固有名詞を出さずとも

企業名も個人名も簡単に特定できそうではありますが笑、

今回のエントリでは

これらの事例から

ふたつのことを読み取りたいと思います。

 

ひとつは

「指摘している内容が事実と相違ないかもしれない」

ということです。

 

ここに挙げた二名の方は

日本を代表するビジネスパーソンであり資産家です。

 

たまたま一発当てて大金持ちに

 

といった人は意外に多くいるイメージがありますが

ここに挙げたお二方ほどの成功例となるとほとんどないと言っていいでしょう。

 

成功に成功を重ねてきたことによって形成されたその実績は

二人の分析・判断・行動能力が優れていることを物語っており、

そのような方々が指摘する内容には

おおいに耳を傾ける必要があるかと思われます。

 

日本のビジネスシーンに足りていないモノ・コト、

真剣に取り組まなければならない問題点等、

一企業のみならず

国として対策していかなければならないことも少なからずあるといった指摘は間違ったものではないでしょう。

 

 

ただ……

 

今回のエントリにおいては

そういった指摘の「内容」に関しては、一切触れないことにします。

 

というのは

それらの指摘が事実だったとしても(そうでなくても)

それら自体は

人の「根源的幸せ」に直接的な影響を与えないもの

だからです。

 

国や企業の状況がどのようなものであっても

(そのことによって個人の経済事情が最悪なことになったとしても)

「人の根源的な幸せ」といったものに影響を与えるわけではない、ので、

日本で最も目立つビジネスパーソン兼資産家の方々が言うどのような指摘も

今回のエントリにおいては「見るべきものがない」と捉えます。

 

 

よって、そのことよりも

「日本で最も資本主義的に成功している人たちが、幸せになれていない」

という事実に着目することにします。

 

 

人の幸せをどのように定義するのか?

 

に関しては難しい部分が多々あるのですが

個人的に思うのは

「自分以外の存在の影響で気分を害されない・害しない」

ことが極めて重要なのではないか、ということです。

 

誰かの言動や

現れ出でる現象から受ける印象によって、

悲しく思ったり

怒りに駆られたりする時

人は自身の感情を自分以外の存在に委(ゆだ)ねていることになります。

 

これは

「揺るぎない幸せ」といった

究極的にハッピーな状況から離れ、

気分を害するものを見て、気分を害している

といった状況を自ら選択している、ということを意味しています。

 

このことを

先の事例に照らしてみると

「国の運営や企業の在り方、個人の行動等について憂いを抱く」ということは

「自分以外の存在の影響を顕著に受け、そのことにより自らの気分を害している」

ということを表しています。

 

そうではなく

周りがどのような状況であっても

「幸せでいるべき」なのです。

(注:そう記している筆者がそのような域に達しているかはまた別問題です笑)

 

 

「幸せ」は

数値やデータで表しきれないことや、

感情が良い=幸せ

感情が良くない=不幸せ

と大多数の人が思い込んでるが故に、

あまり直接的に考察・言及されることがありません。

 

「幸せなんて個人の嗜好や尺度で変わるから」

 

現状、「幸せ」「幸福」といったものの本質的な部分に関して、深く考察されることは極めてまれです。

 

が、実は

そのことこそが

資本主義や共産主義といった「システムの根幹」に関わってくるのです。

 

というのは

今回挙げた事例に即して表すとすれば、

日本という国における

「個人資産」というピラミッドの

まさに頂点に君臨している人たちが「幸せになれていない」という事実は、

資産を増やして豊かに幸せになる、という

資本主義の根本的な設計を完全に否定するからです。

 

 

このことは

資本主義を語る上で

というより、

資本主義を採用している国で生きている我々にとって

看過できないほど重大な問題です。

 

ところが

マスメディア等、本来それについて大特集するべきはずの媒体は、そのことについてほとんど触れることがありません。

 

うがった見方かもしれませんが 

それはもしかすると

資本主義に沿った生き方をしても、実は幸せになれない

ということを公けにしないため、なのかもしれません。

 

「成功者」として取り上げ、おだてこそすれ

「あなた、ホントは幸せじゃないんでしょ?」的なことを

マスメディアが そのスポンサーたる存在に突きつけるようなことはしない、と考えられるからです。

 

そのような形で

資本主義における大いなる問題は蓋がされたままにされます。

 

 

ピラミッドの頂点にいる人たちでさえ、幸せになれてはいない、ということ ──── 

 

資本主義において

その意義に沿って生きても幸せになれないのだとしたら

いったい誰がそのシステムを選択し続けていくのでしょうか?

 

 

…………

 

資本主義について

このようにまとめると

「やっぱり 共産(社会)主義社会にしよう!」と言いだす人が多くなりがちなのですが

実際は

それらもまた同じことです。

 

共産主義においては

そのシステムに最も適合した存在が

豊かに幸せになる(ピラミッドの頂点にくる)はずです。

 

しかし

当然のことながら

ここでも

ピラミッドの頂点に行けても幸せにはなれない

という問題が発生します。

 

なぜなら

序列のトップに近づけば近づくほど

その競争は熾烈になっていき

「自分以外の存在によって気分を害する機会」が増えてくるからです。 

 

トップに君臨する、ということは

競合相手をうまく排除してきた、ということでもあります。

 

それは逆に

常に他の誰かかから排除される可能性があるということをも示していて、その人に心を休める時を与えないことでしょう。

 

それは

揺るぎない、恒久的な幸せ

といった状態にほど遠いもの、となるのです。

 

 

ということで………

 

以上のことにより

人は資本主義や共産主義といったシステムではないところで

「幸せとは?」ということを真剣に模索する時期に来ているのではないでしょうか?

 

資本主義内においては資本主義的成功を目指し

共産主義内においては共産主義的成功を目指して

それぞれの人がそれぞれの欲求に合わせて

多様な計画を練り

それを実行に移していきます。

 

しかし

それがどれだけ成功したとしても

安定した幸せをもたらすわけではないとしたら……

 

「幸せの本質」や

「真の幸せとは何か?」といったことについて

一度立ち止まって深く考えてみるべきなのかもしれません。

 

 

僥倖にも

その本質を知ることができ

それを常に認識していられるような状態になった時、

 

周りの状況がいかなる場合でも ────  

 

世界が

資本主義だろうが共産主義だろうが

右寄りだろうが左寄りだろうが

事件・事故・災害がどれだけ起ころうが

国と国、人と人とが直接的・間接的に争い合おうが

 

……それこそ……

地球滅亡の日が近い! となったとしても ──── 

 

まったく変わらない安寧な境地で

日々を過ごしていけるようになる……(かもしれない)

ということをSF的に予想しつつ

今回の更新を終わりにします。