空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

次世代の社会・経済システムに関するひとつの開示

 

2回に渡って「寄付」に関して想うことを綴ったのですが、今回はもう少し大きな括りでまとめてみたいと思います。

 

以前、寄付金を募るネット広告(やせ細って涙目の子供写真付き)を見て

「この人たちを本気で救おうとしたら、いったい何をすればいいんだろう?」

と真剣に考えたことがありました。

 

その場しのぎではない、何か。

根本的に解決する方法。

 

あぁでもないこうでもないと、しばらく考えた末にハッと思いついたのが

「お金をなくせばいいんだ!」

ということでした。

 

前後の脈絡等一切なし、演繹的でもなければ帰納的でもなく、突然、雷に打たれたかように、頭の中に「それ」が飛び込んできたのでした。

 

もちろん、オカルト・トンデモ論の類だとはわかっているつもりですが、それでも、これが究極の「答え」なんじゃないのかな、と思っています。

 

飢餓や貧困をなくす、ということだけではなく、中産階級の人や富裕層を含め、資産の枠を超えたところにあるさまざまな問題をも解決する「鍵」になるアイデアなのではないのかな、と感じています。

 

 「お金をなくしてどうする? 物々交換の時代に戻るのか?」

 

ネット上で実際に読んだことがあるのですが、貨幣経済を変える・やめるというと必ず出てくる意見だと思います。

 

同様に「仮想通貨の有効性」を考察する動きも出てくるでしょう(仮想通貨の有効性・問題点についてはまた別の機会で取り挙げたいと思います)。

 

ここで懸念されるのは

貨幣経済をやめたとして、それに替わるものがあるのか?」 

「それは問題なく、混乱なく機能するのか?」

という部分だと思われます。

 

いちおう、それらの疑問に応えるアイデアはあるのですが、それはおいおい公開するとして……

 

なぜお金をなくすのか?

 

それは……

お金を存在させるためのエネルギーが掛かり過ぎる

からです。

 

お金を造り出すには、硬貨では各種の金属や合金、紙幣では木材・パルプという原料、さらにインクやら印刷機やら断裁、打ち抜きのための機械等を揃えなければなりません。

それらの製造工程を管理する人材に対する人件費等を含めると、相当な額になるでしょう。

 

お金がモノ(3次元的な意味における物体)として存在するためのコスト・エネルギーが掛かり過ぎるという認識。

 

お金をモノとして現存させるために「お金(対価)」が必要になるのです。

 

お金はそれ自体がお金を必要とする、のです。

 

これを具体的なイメージに変換すると

「我々は1万円ぶんの仕事をして1万円手にしている、と思っているが、実際は1万2千円ぶんくらい働かないと1万円を手にできない」

といった感じになるでしょうか。

 

この差額は税金という形で徴収されるのですが、お金をモノとして手にする時、既に負荷が掛かっているわけで、イメージ的には二重取りされる、ということになるでしょうか。

 

 このような形で産み出されるお金の量(流通量)が増えるということは、何を意味しているのでしょうか?

 

それを生み出すためにたくさんのエネルギーが必要なものをさらに増大させる、ということに他なりません。

 

経済上の問題が発生し、それを解決するための対策としてお金を投入する。

それは、その時点では「数字(帳簿)上のもの」だとしても、実体(モノ)として世に出る時、過度なエネルギーを必要とし、誰かの何か(時間、労力、さらにその他さまざまなもの)を奪い取ることでしょう。

 

その存在がマイナスに作用するもの(もちろんプラスの作用もあるのですが相殺して、という意味で)は、どのように用いたとしてもいずれ終焉してしまう時が来るのではないでしょうか? 

 

 次世代の社会・経済システムに関して、この「お金をなくす(現在の貨幣制度を終わらせる)」というアイデアがひとつの軸になると感じています。

 

以前、「資本主義の終わりとその次に来るモノ」というエントリの記事を書きましたが、そこでは当然のようにこのアイデアが主流になっているのではないのかな、と思っています。

 

もちろん、これだけではダメで、現在の資本主義の変革とセットで行使することによって、次世代の社会・経済システムが完成するのです。

 

 

 

はい。

 

このブログを立ち上げた目的に関して、初めて重要な鍵となるアイデアが示されました。

 

現時点では、賛同者ゼロなわけですが(というか否定・反対意見の方が圧倒的でしょうが)、ひとつのエンターテイメントだと捉えてもらえれば、と思います(もちろん新しい社会・経済システムを考察していく、という想いは本物ですが)。

 

今回のエントリは、熱のこもったオカルト理論が、なかなかに良く展開されており、自画自賛してしまったりするのですが笑、まだまだ、もっと凄い展開が待ち受けております。

 

……とはいえ、あまりに超絶なトンデモ論ばかりだと読んでる方も(書いてる方も)疲れるので、少しずつ様子を見ながら前進していきたいと思います。