「失われた20年」という言葉があります。
Wikipediaによれば
「失われた20年(うしなわれた20ねん)とは、日本経済が安定成長期終焉後である1991年(平成3年)3月から約20年以上にわたり低迷した期間を指す語である」
とのこと。
現在は2017年ですから、1991年から数えて26年目に当たり、このまま安定した成長がなければ「失われた30年」になるとも言われています。
なぜ、このような状況が生まれたのでしょうか?
エコノミストや有識者と呼ばれる方々が、専門的な知識を駆使した分析をいろいろとされているので、本やネットを調べてみれば、ある程度の状況が見えてきます。
しかし、もしその分析が正確なものだとしたら、それに応じた対策が執られ「失われた」状況が変わるはずです。
実際に政策を担っている人達も、当然そいういった意見には目を通しているでしょうから、「それでも失われた状況が続いている」ということは、やはり日々変化する経済情勢について、的確な分析・判断・対応を為すことが如何に難しいか、ということを示しているといえるでしょう。
また、これとは別に、ネット上(ホームページ、ブログ、掲示板、SNS等)には経済の専門家ではないであろう人達が示す、感情的で過激な意見も散見されます。
「政治家も官僚も中央銀行も無能だから」
「〇〇さん(経済対策を担う政治家、民間議員等を指して)はテレビやセミナー等で『企業のここがダメ』『国のこのシステムが良くない』とか言ってるけど、あの人は自分がどれだけ経済対策の中心に居続けて来たか自覚してないんじゃないの? 他の存在を否定する前に自分の対策がうまくいってないことを省みるべきなのでは?」
等々。
正直、こちらの見解の方が経済分野の専門家よりわかりやすくて的確な気もしますが笑、ここ(このブログ)ではこの立場を採りません。
・政治家や官僚や中央銀行が一生懸命対策しても結果に結びつかない
・経済政策を担う特定の個人(大臣、議員等)が、結果を出せていないことにとどまらず、私腹(自身を含む関連企業や団体)を肥やすような政策を行っている ──── のにも関わらず、長きに渡ってその席に就いている
「だからダメなのだ」
一般的にはそう認識されますが、ここでは「だからイイんだ」と捉えてみます。
どういうことか?
政治家や官僚、中央銀行が知恵を絞って何十年たってもダメ
私腹を肥やそうとする人物が長きに渡って、そう誘導できる地位に就いていたとしても、それが改善されず続いている
これらのことが意味するのは ──── 世界が「それ」を終わらせようと、そのような現象を顕している ──── と認識するのです。
「それ」とは、現在の世界における主要なシステム、つまり「資本主義」を表します。
およそ何十年もの間、
対策を講じても講じても改善されない
対策をとるべきはずのものに対策がとられていない
……というような、普通だったら考えられないような、信じられないような状況がずっと続いている。
これは「そのようになるため」に行われている、と考えるのが自然なのです。
世界は「資本主義を終わらせるために、失われた20年(もうすぐ30年)を創った」のです。
はい。
だんだんオカルト色が強まってまいりました笑
いや、
でも
ホントにそういうものなのかもしれません。
「失われた20年」で、ほとんど経済成長していないのは、それによって資本主義の限界が提示されることにより、人々に資本主義から次の新たなシステムへの移行を考えさせるためである。
それは多くの混乱をもたらすが、それを経ることによって、低労力かつ低エネルギーにも関わらず、極めて安定的に永続する、爆発的な経済状況が生まれる。
だから「失われた20年」だったとしても「それでよい」ということになるのです。
このブログで、資本主義の受け皿となる「与配主義」や「順番決定制度」が具体的に明らかになっていくほど、その終焉がハッキリしてくる、かも、しないかも……ムニャムニャ……というところで今回の更新は終わりとなります。
※次回予告
今回の更新で「経済対策を担う特定の個人」の話題が出たので、次回はそれに絡めた内容にする予定です。
経済政策を担う人の認識が、いかに現実と乖離してきているのか ──── に触れてみたいと思います。