空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

AI もロボットも「それ」をもたらすことはできない

  

前回の更新では、

資本主義の象徴である

「個人資産というピラミッドの頂点に立つ」

二人のビジネスパーソン兼資産家の意見を取り上げ

そこから読み取れることを考察してみました。

「資本主義」の象徴自体が 「資本主義の意義」を否定する現象が現れ始めた 参照)

 

そこでは

二人の意見の内容については触れずに

「国や他企業に対して不満を持つ」といった行為が何を意味しているのか、

について明らかにしたわけですが

今回は、逆に

二人の意見の中身について見ていきたいと思います。

 

 

前回挙げた事例をもう一度確認してみると……

 

・事例その1

情報革命をうたいM&Aで巨大化したIT企業の創業者かつ代表の方が言う

「日本は既にAI後進国になってしまった」

「投資する価値のある企業が国内に見当たらない」

といった不満。

 

・事例その2

地方の一企業から世界規模のカジュアルファッションチェーンに成長させた方が言う

「企業のIoTやAIへの取り組みが遅い」

「日本は先進国から中位の国になっていて、さらに発展途上国になる可能性がある」

「このままでは日本は滅びる」

といった不満。

 

……というものになります。

 

「そう判断するに至った何らかのデータや経験、体感」が、お二人にはあるのでしょうが、それがどういったものなのかわからないため、実際はなんとも言えないのですが

「AIが今後のビジネスにおいて必須になる」

という見解は確かにその通りだと思われます。

 

囲碁や将棋、チェスといった

一見シンプルそうに見えて実際は難解なゲームにおいて

AIに人間が太刀打ちできない、ということが現実となってきている今

「人間の仕事がAIに置き換わっていく」

ことは簡単に予想され得ます。

 

また、

誰かが定期的に購入しているモノやサービスに関して

その誰かが気づく前に

「そろそろアレを買う時期ではないですか?」

といった形で次の購入を促す、

というアプローチをAIが行ったりするかもしれません。

 

仕事だけでなく

あらゆる生活に

AIが関与してくることになるでしょう。

 

そのような世界がこれからやってくるという時に

それについての取り組みが遅れているとしたら、

利潤を追求する経済活動おいては、致命的になるかもしれません。

 

AIによって「売れるモノ」が創り出される時代では

それなしではモノやサービスが「売れない」ことになりかねないからです。

 

経済という観点からすると

「それに取り組んでいない、取り組みの遅い企業はとんでもない存在である」

となるのは当然のことだといえるでしょう。

 

 

しかし ──── 

 

経済という側面で見ればそうであったとしても

幸せという面から見たらどうでしょうか?

 

AIという新たな技術が生み出され

それが途方もない規模で広がっていく

だから

それをいち早く取り入れることが重要である ──── 儲けるためには

 

 

確かに

それはその通りなのですが……

 

前回のエントリで示されたように

どれだけ儲けたとしても

人は幸せには成れていないのです。

 

 

AIによって何事も便利に楽になる

AIの判断基準によって何事も最適解で自動的に処理されていく

 

そのような形で

世界は劇的に姿を変え 

これまでの仕組みが陳腐なものに思えるほど

効率の良い社会が出来上がるでしょう。

 

AIによって

今までとは比べものにならないくらい

利便性の高いエキサイティングな生活が展開されていくことでしょう。

 

 

しかし……

そのようにして成される幸せは

表面的(一時的)なものです。

 

便利で

楽で

効率的

だけれども

本質的な部分は何も変わらないのです。

 

なぜなら

本質的(恒久的・絶対的)な幸せとは

「外側から得られるモノ・コト」によって辿り着けるものではないからです。

 

「AI」という技術が

どのように浸透し

どのように経済に影響を与えたとしても、

「お金」がそうだったのと同様に

「本質的な幸せ」に対しては意味を持たないのです。

 

この世界がどれだけ、どのように発展したとしても

経済や社会の仕組み、のような形によっては

真の幸せには辿り着けないのです。

 

 

…………

以上のことから……

 

ここで

ものすごく

エポックメイキングなことを記してみようかと思います。

 

たぶん

日本だけでなく

世界で最も早く言及されることとなるそれは ──── 

 

既に

AI やロボット技術とは

古い概念である

 

というものです。

 

 

これから

AIやロボット技術によって世界は一変し

革新的なそれらを産み出した企業や個人は躍進し

「それ見たことか、だからずっと前からAIが重要だと言ってきたのだ」

ということになる中、

このブログでは

そのような世界が来る前から←

AIやロボット頼りなのは既に古いアイデア

だということを明示しておきたいと思います。

 

なぜなら

お金がそうだったように

AIやロボットで成されるどのような物事によっても

「本当の幸せ」には辿り着けないことが

前もってわかりきっているからです。

 

 

AIやロボットが生み出す世界が最先端?

 

いやいや、

たぶん「ホントのハッピー」を見つけだすことこそが

最先端中の最先端なのだと思う

 

だって

それ以外は全て

「おまけ」みたいなものに過ぎないのだから

 

……というようなことになるのです。

 

 

以上、

 

AIやロボットをあがめるのは経済にとっては甚だ有益だとしても、「人間における本質的な幸せ」については何の答えも与えない、既に古い概念である

 

という

世界で初めて示された見解を

リアルタイムで確認できた人はラッキーですね。

 

それがどのようにトンデモなものだったとしても笑。

 

 

ということで

ラッキーついでにもうひとつ。

 

これからの社会についてSF的に予想してみたいと思います。

 

 

今後、この世界は大きく二つに分かれていくかもしれません。

 

ひとつは

これまでの社会の延長上にある世界です。

 

そこでは

これまで同様

「その社会における成功例」に準じた成功を収めることが重要とされ、

 

社会的成功と見なされるもの(お金【資産】、地位、名誉、名声、その他)

──── 目に見えるような形で人に評価されるようなもの ──── の獲得を目指していくことになります。

 

その上で

まず「成功を収めるために必要なもの」を手に入れようと計画されます。

 

そのことを簡単に表すと……

 

社会的成功を収めたい

   ↓

そう認められるための指標(お金、地位、名声等)を手に入れたい

   ↓

それを手に入れる手段(進学先、就職先、評価等)を手に入れたい

   ↓

そのために出来ることをしていく(学習塾に行ったり、資格を取ったり、いい人ぶったりする笑)

 

……といったような形になります。

 

 

「その時できることをやっていたら自然と社会的成功を収めていた」

という人も中にはいるかと思いますが、

多くの人が

上記のように行動してきた・しているのではないのかな、と思われます。

 

 

ただ……

そのような形だと

「成功を収める」ことが「目的化している」ことになるため

「幸せになる」という視点がないがしろにされている、ともいえます。

 

成功を目指して努力した結果、

成功することはできたけれど

幸せにはなれなかった……

 

というのがこの形における典型例となります。

 

一般的には「成功を収めて 幸せになる」とされているのですが、

実際は

「社会的成功」と「幸せになる」ことの間に生じる因果関係は、極めて個人的な感覚に依拠したものであって、誰かがそう言っていたからといって、自分もそう感じるとは限らないのです。

 

そのことにより 

どれだけ成功しても幸せになれるとは限らない、ということが導かれるのですが

そのことがわかっていたとしても

社会的成功を最優先に目指して行動する人は減らないことでしょう。

 

なぜなら

やはり

「望んだモノ(お金、地位等)を手に入れる快感」

「欲を満たすことの心地よさ」は格別であり

 「それこそが幸せ」だと感じる部分が我々の中にあるからです。

 

 

よって、

ふたつに分かれる世界のうち

こちら側ではこれまでと同じく

三次元的、物質的な欲望を満たすことが最善とされる社会が営まれていきます。

 

そこでは

上記のような成功を収めることだけでなく

「社会の先端」や「流行の先端」にいることも良いこととされます。

 

マスメディア「待望のスマホ新製品の発売日です!」

誰か①「昨日から並んで買いました。早く使ってみたいです!」

 

ネット「今の話題はタピオカドリンク !」

誰か②「1時間待ちです~。インスタ映えするかな~と思って」

 

流行っているモノや最新式のモノなど

常に話題となるものを手に入れたり

それに繋がっていることこそがハッピーなことだと信じ

それを求めていくスタイルです。

 

 

進学や就職等、生き方の選択のみならず

商品の選択も

誰か(もしくは自分)が

良いと言う(思う)ものを手に入れていくことで幸せになれる、と思う人が進む世界となります。

 

 

………… 

これに対し、

 

社会的成功より流行の先端より

重要なもの・重要なことがあるような気がする……

と感じる人が選択しだす世界が、もう一方の世界になります。

 

これは

今までの世界とは

対照的な位置に置かれる世界になります。

 

これまでは

いわゆる「現世利益」の獲得、

・社会的成功を収めること

・物質的に充実すること

・欲を満たすこと

が正解とされてきたのですが、

 

新しい世界では

それらの何よりも

「揺るぎない幸せ」や「恒久的な幸せ」を見つけ出すこと

が重視されます。

 

それが何なのかは

その時点ではわからないけれども

少なくとも現世利益より重要な気がする……

というような人たちがそちら側に興味を抱くようになるでしょう。

 

ただし

そちらの世界は

ある意味

(いばら【トゲトゲ】)の道でもあります。

 

というのは

それを目指し始めたとたん

これまで正解とされてきた道から はみ出して

迷路に入り込むことになるからです。

 

そのことによって

経済的な事情なり、社会的な評価なりが

右肩下がりで落ち込んでいくことが予想されます。←

 

ただ

最終的に求めていたモノに辿り着けた際は

他のどのような境遇の人よりも

確かな知識や智慧(ちえ)に根差した

恒久的・絶対的な幸福を手に入れられる

ということになります。

 

 

…………

以上のことから

SF予想し得るこれからの社会を簡単に表してみると

 

①現世利益を追求する世界(AIやロボットに価値を見い出す人がいる世界)

・社会的成功や現世利益を得られた人

・社会的成功や現世利益を得られない人

 

②恒久的幸せを探求する世界(社会や自分がどのような境遇であっても幸せでいようとする人がいる世界)

・恒久的幸せを得られた人

・恒久的幸せを得られない人

 

……のようなパターンに分かれる、ということになります。

 

①と②、二つの世界に分かれて

それぞれの世界での成功を目指すわけですが

残念ながらそれが叶わない人も(大勢)出てくるでしょう。

 

最も厳しいのは

恒久的幸せを求めながら得られていない人、です。

 

なぜなら 

さまざまな現世利益から遠ざかりつつ

求めたもの(恒久的幸せ)も手に入っていないからです。

 

しかも

その求めたものがあまりにも漠然とし過ぎていて

それに近づいているのか遠ざかっているのかさえ

よくわからないという

迷路中の迷路に迷い込むような状況となるのです。

 

しかし……

 

宗教的、スピリチュアル的解釈からすると←

「今生では辿り着けなかったとしても、多生を繰り返した暁には……」

ということになるハズなので

やってみて たとえダメだったとしても、やることに意味がある

ということになるかも(ならないかも←)しれません。

 

 

「ホラ、やせ我慢してないで、現世利益を、を」

 

といった誘惑も多々(自他によって)湧いてくることと思われますが、

実際は

現世利益を追求する人たちも

いつか(来世、もしくはさらなる多生後)は

恒久的幸せを求めざるを得なくなるのです。

 

何度も何度も繰り返す生(伝聞)において

「絶対的な幸せとは何であるのか」を知ることだけがゴールとなるからです。

 

 

さて………

 

ここまで、

完全なまでのオカルト・トンデモ論を駆使しつつ話を展開して来たわけですが笑

本当にそのような形で二つの世界に分かれていくのでしょうか?

 

 

最近の若い世代の呼称のひとつに

「さとり世代」

というものがあるそうです。

 

これは

消費活動に熱心でない若者の姿が「悟ったように見える」

というところから付けられたようですが

実際、

ただ単に「消費しない」という姿勢から来ているだけなのでしょうか?

 

 

本当に欲しいもの、魅力あるものは

消費によっては得られない……

 

言語化しない(気付かない)ままで

実際はそのことを体感している可能性があるとしたら ──── 

 

…………

もしかすると

 

二つの世界の分岐点は

思っているより

ずっと前から存在していたのかもしれません。

 

 

少しずつではあっても……

 

物質的な幸せではなく

恒久的な幸せを求める人たちが増えていく ──── 

 

それは、世界が

ブッダ」や「ブッダになることを目指す人」で満ちていく ←

ということでもあります。

 

そのような世界(ブッダだらけの世界←)において

資本主義や共産主義といったシステムは

これまでと同様な形で続けていけるものなのでしょうか?

 

 

以前から、何度も言及してきたこと、

 

・ただ単にシステムを代えようとしてもうまくいかない

・先にハッピーになることで、これまでのシステム(資本主義や共産主義)が立ち行かなくなり、何か別のものに置き代わる

 

という概念は

言い換えてみれば

 

ブッダに「お金の魅力」や「唯物論」を説いてどうする

 

といったことでもあるのかもしれません。

 

 

そしてこれはまさに

猫に小判

ブッダに「お金」と「唯物論

ということになるのです。

 

 

……… 

 

いや、

これは引用の仕方が違っていて(正確には「その価値がわからない」という意味で使うが、ここでは「通用しない」という意味で使用)

単なる言葉遊びでしかないのですが(ブタに真珠、的な)←

実際に「ブッダ的な人であふれる世界」が広がったとしたら………

 

 

 

ここでもう一度

冒頭に挙げた

二人のビジネスパーソン兼資産家の方の意見を振り返ってみます。

「AIについての取り組みが遅い」

「AI後進国になってしまった」

 

AI技術そのものや

それによって生じる経済的な側面においては

そういう部分があるのかもしれません。

 

しかし

それを別の角度から眺めてみれば、

そこから離れることによって初めて見えてくるようなもの ──── 人間に生まれついて知るべき・辿り着くべき最も大事なコト(智慧なり幸福なりその他なり) ────

を獲得するという点においては

世界のどの国よりも先端を行っている、ということにならないでしょうか?

 

 

世界が

AIなり

経済なりを追求する中、

 

それについての取り組みが遅い、ということによって

逆に

本当に大切なこと ──── 揺るぎないハッピーを探し出すこと ──── に目が向き始めたとしたら……

 

 

それは

「人間の完成」という、およそ人として生まれついて、辿り着くべき最終的なゴール(とされているもの)を認識しつつある、

ということになるかもしれません。

(ここでいう「ゴール」とは、仏教、ヒンドゥージャイナ教でいうところの「悟り」「涅槃」「ニルヴァーナ」「モークシャ」「解脱」といったものに当たるかと思われます。たぶんそう簡単には辿り着けない、もの凄く遠い遠いゴールだと思われますが笑)

 

 

そして

そのゴールに辿り着いた人が、ある一定の数に達した時、

人工知能(AI)が人類を超えるという「技術的特異点」ではなく

人類自身がそれまでの人類を超えるという「人的特異点(造語)」として刻まれることとなるのです。

 

 

その「人的特異点」を超えるということは ──── 

 

…………

 

ほら見てボクたち

なにも持ってないけど

さいっこうに幸せなのっ キャハッ

 

だって

この世界の本質・成り立ちを理解したら

深刻さ、なんて意味がなくなって

ハッピー以外になりようがないじゃない

 

たとえ

「目に映る」自分や社会が

どのような状態だったとしても、ね

 

…………

 

というような感じの人が

社会の中に一定数以上存在し

さらに増え続けていくということを意味しており、

消費活動によって支えられてきたそれまでの「現世利益追求型社会」が

徐々に立ち行かなくなってしまうこととなるのです。

 

 

そういう意味において

 

「人的特異点」を超えた時、(それまでの)世界は終わりを告げ(終末)、新しい形の世界に必然的に移行せざるを得なくなる

 

ということをSF的に予想しつつ

今回の更新を終わりにします。