空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

新型コロナウイルスに関連した様々な事象において感じることなど ────

 

今回は

新型コロナウイルス関連の様々な事象において

感じたことなどをまとめて更新していきたいと思います。

 

 

内容によっては

既に遠く過ぎ去ったことのように感じるものもあったりするのですが、

そういった物事を見過ごさないでおくことで

いつか何かの役に立つことがあるかもしれない、ということで取り上げていくことにします。

 

 

ということで……

 

まず初めに

「豪華クルーズ客船における検疫問題」に関して見ていくことにします。

 

巨大クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に寄港したのは20年2月3日でした。

 

既に4ヵ月ほど経過していることもあって

もうメディアもその話題は一切取り上げなくなったのですが、

その時の論じられ方に

何か腑に落ちない部分があるような気がしたので

ここであらためて確認しておくことにします。

 

 

当時、

「ダイヤモンド・プリンセス号」(イギリス船籍でアメリカの会社運営)が横浜港に入港した際、検疫のやり方がひどい、ということで様々なメディアから槍玉に上げられることとなりました。

 

比較として

イタリアのクルーズ船(コスタスメラルダ号)への対応が挙げられ、

そのスマートさが絶賛されたのでした。

 

 

内容としては、

コスタスメラルダ号が

イタリアのチベタベッキア港に入港したのが1月29日、

乗客2名に新型肺炎感染疑いの症状が見られたため検体を採取し検査、「インフルエンザ」との診断結果により、この2名を含む乗客全員が即時(30日)下船、ということで1日で解放されることとなった、というものです。

「コスタスメラルダの発熱乗客 新型肺炎ではなくインフル(一般財団法人 みなと総合研究財団)より)

 

 

これに対して

ダイヤモンド・プリンセス号が

横浜港に入港したのが2月3日、

既にイタリアでは乗客が解放された後でしたが

横浜入港前、1月25日に香港で下船した乗客の中に新型コロナウイルス陽性者がいたため、横浜港での下船を認めず、船内で乗客全員の健康診断を行い、症状のある人および濃厚接触者から検体を採取、結果陽性者が認められたことにより2月5日から14日間の検疫が開始されることとなりました。

 (「現場からの概況:ダイアモンドプリンセス号におけるCOVID-19症例 (国立感染症研究所)より)

 

 

これらの件は

新型肺炎疑いの乗員乗客がいる大型クルーズ船」という点では一致しているのですが

そもそもそれぞれを比較していいものなのか?

という疑問が湧くことでもあります。

 

というのは

コスタスメラルダ号の場合「感染疑いの人がいた」ということであるのに対し

ダイヤモンド・プリンセス号の場合「陽性患者が既に発生していた」からです。

 

陽性患者が既に生じていた客船に検疫期間を設けるのは当たり前の話であって

批判されるようなことは一切ないはずです。

 

イタリアの対応を絶賛し

日本の対応を批判された方の中に

医師の方がいるとのことで

その人が発信されたこと(ツイッターや雑誌記事等)を読んでみましたが、

そのような人が書かれた内容の中にも「疫病の潜伏期間」という文言がありました。

 

そのこと(伝染病には潜伏期間(感染しているが症状はまだ出てない)がある)を知っている専門家であれば、イタリアの対応こそ批判されるべきなのではないでしょうか。

 

その後、イタリアがどうなって日本がどうなったかを考えれば、やはり防疫期間は必要だったと言えるでしょう。

(イタリアの感染爆発がクルーズ船由来というエビデンス(証拠)はありませんが、それでも、です)

 

ただ……

コスタスメラルダ号は乗員乗客合わせて約7000人(ダイヤモンド・プリンセス号は約3700人)もいたということで、

仮に防疫期間を設けるにしても、どのように対処すればよいのか?

といった

また別の問題が浮上することになることは明らかです。

 

船内に隔離しておく、という日本のやり方がやり玉に上がったわけですが

下船させたとして、大多数の乗員乗客をどこに隔離しておくのか?

といったようなことを

問題が起こってから、ではなく

前もって決めておく必要があるでしょう。

 

理想的なのは

無人島のようなところに隔離施設を用意しておく

ということですが

・いつ使われるかもわからないようなもの(しかも高額)を用意しておく必要があるのか

という点と

・いざ何か起こった時、そのような施設を用意しておかなかった場合の損失(経済的、政治的、人口的、国際信用的なもの)は かえって高くつくこととなる

という点の間で

どう折り合いをつけるのかが問われることとなるでしょう。

 

 

ちなみに

当のコスタスメラルダ号は

30日に乗客を解放した後

31日に新たな乗客を乗せて次の寄港地「ラスペチア」(イタリア西側海岸の北部に位置)に向かった、とのことです。

 

新型コロナウイルスSARS-CoV-2)は

症状の出ていない感染者からもウイルスが排出されている可能性が指摘されていますが

仮に乗務員の中に「症状の出ていない感染者」が存在していたとしたら……と考えると

やはり

きちんと防疫期間を設けるべきだったのでは?

ということが導かれるでしょう。

 

 

……………

 

ということで

以上の話題はここまでとし……

 

次の話題として

「マスメディアにおける医療関係者等による解説や進言・提言について」

見ていくことにします。

 

 

この項では

テレビや新聞、雑誌といったメディアを取り上げるのですが

その前に

筆者のテレビ鑑賞事情に触れておきたいと思います。←

 

およそ10年以上前から

年間を通じて「テレビを視聴する」という習慣がほとんどなくなっています。

(大晦日も正月も一切見ません)

 

新聞は とっているのですが

ラテ欄(テレビやラジオの番組表)も

ほぼ見ない(1ヵ月に1回くらいはチラっと確認します←)ので

今どんな番組が放送されているか、ということをまったく知りません。

 

どんな芸能人に人気があり

どんなCMが話題なのかということも知りません。

 

さらに

これからこの記事で取り上げていく報道番組や情報番組自体も観たことがなく←

それらに対する見解は全てネット上からの伝聞によるもの、ということになります。

 

よって

実際の放送内容とは少し違ったニュアンスで受け取っている可能性もあるということを念頭に置いておいてください。

 

………

テレビ視聴具合について言及したついでに

もう少しその話を続けることにしますが←

 

実際は

アマゾンプライムやネットフリックス、スカパー等の契約番組はけっこうな割合で視聴しています。

 

地上波およびBS等の既存テレビ局が流す放送はほとんど見ていない、という方がより正確なテレビ事情となります。

 

 

理由はいくつかあるのですが

・見たいと思っていないものを 見る必要はない

・気分を害するものを見て 気分を害することはない

等といったことになるでしょうか。

 

 

見たい部分を

見たい時

見たいだけ何回も見る。

 

ネット環境が整った今なら

誰でもそのように視聴することができます。

 

見たいものが存在していなかったら

自分で撮影編集して番組を作り、それを自ら楽しむことも可能です。

 

時間は有効に使っていきたい、ということで

このようなスタイルに落ち着いたのでした。

 

 

………ということで

だいぶ話がそれましたが笑

新型肺炎とメディアについて感じたことを見ていくことにします。

 

 

SNSまとめサイトで確認したことによると

テレビで医療従事者や感染症の専門家、コメンテーターのような人が様々なことを言っているけれども、それらは実際的には的を射ていないのではないか

ということらしいのです。

 

文末が推量なのは

実際にどのようなことが言われている、いたのか

その放映シーンを見ていないから、です。

新型肺炎に関するテレビ放送は それこそ超長時間に渡っていることかと思われますが、まったく見ていないので← どのような感じで新型肺炎が扱われているのか、ということすらわかっていません)

 

 

その具体的な内容としては

専門家やコメンテーターの中に

PCR検査しろー PCR検査しろー」

ということを延々と言っている人がいて

それは正しいことなのかどうか、ということのようですが、

その見解自体に関しては言及しないことにします。

(判断基準になり得る情報が少なすぎるため)

 

ネット上で見られる

医療従事者の方々による意見でも

その賛否が分かれる(検査しろ、するな、意味ない、CT検査がいい等)ような問題は

たとえそのようなことを学術的に研究している専門家であっても、正否の判断が難しいことだと言えるでしょう。

 

 

ただ、

そのこととは別に感じることとして

 

テレビのような媒体に出て

なんらかの意見や提言をする専門家が

その意見や提言の内容によって利益を得るような立場にある場合、

そういった人をメディアに出演させるべきではないのではないか?

 

あるいは

 

仮にそのような立場の人が発言する場合、

景品表示法第4条1項1号(優良誤認表示の禁止)により←

提言するものの悪い部分も同時にきちんと説明しなければならないのではないか?

 

ということになります。

 

 

このことを

PCR検査の件で例えると、

PCR検査が多数行われることによって儲けられる組織や企業体に属する医療従事者や専門家がテレビに出演して

「もっとPCR検査をー もっとPCR検査をー」と言う場合、

PCR検査では偽陰性・疑陽性が発生することがある

PCR検査結果の信頼性はそれほど高くない(7割とも言われている)

というようなことを同時に伝えなければ景品表示法に抵触するのでは? ということです。

 

 

こういったことに関しては

発言者が意識的に注意するべきなのはもちろん

その人を出演者として選択し放送するテレビ局にも責任が発生することだと思われるので、

今回の件に関わらず

もっと議論されるべきことなのではないでしょうか。

 

ネット上では

記事広告の場合「PR広告」という表示がされることが多いのですが

同様に

テレビや新聞、雑誌といった媒体でも

「それとわかるような表示」が必要な時代になってきたのかもしれません。

 

 

「それとわかるような表示」の具体例としては

PCR検査を進める医療従事者や専門家がテレビ出演し

「もっとPCR検査を」と提言する場合、

画面の上とかに

「発言内容によって発言者やその所属団体が利益を得る可能性があります」

「この発言はある種の広告にあたる可能性があります」

といった表示を義務付ける必要があるのでは? ということです笑。

 

 

その発言内容が

・専門的知識に基づいた真実のみを言っている のか

・単に儲けたくてそれらしいことを言っている のか

・あるいはそのどちらも両立させている のか

については

その発言者自身にしかわからないことであり、

内容によっては

「詐欺」にあたらないとも限らないので

それを公共の電波を用いて放送する際は

これまで以上に厳しい対応をしていかなければならないと思われます。

 

 

また……

 

これとは別に

今回の件(新型肺炎関連)では何か腑に落ちない表現がいろいろと散見されるのですが

そのひとつとして「ある雑誌記事」が挙げられます。

 

「ある雑誌記事」とは

新聞社系の雑誌において書かれたもので、

その内容は

新型コロナウイルスへの対応に関する政府批判

PCR検査をもっと増やすべき

というようなものなのですが、

 

その紹介の仕方として

「複数の専門家に聞いた」という表現を使いながら

その「複数」とは「同じ団体・組織に属している(いた)人のみを対象としている」

のです。

 

つまり

「立場の違う複数の専門家から意見を聞いた」

ように感じさせる表現を使いつつ

実際は

同じ利害関係を持つ

あるひとつの団体・組織に属している(いた)人の意見のみを取り上げている

のです。

 

 

このような

「意図的にミスリードを誘うような表現」は

いったい何のために行われるのでしょうか?

 

 

仮にここに

その団体・組織そのものから、

あるいはその団体・組織と副次的に関わりのある企業等から「広告費」のようなものが流れていた場合、

それは「記事」ではなく「広告」になるわけなので

それをそうわからなくしているようなことがあるとすれば

実質的にそれは「詐欺」にあたるようなものだと言えるでしょう。

 

テレビにおいても新聞・雑誌においても

本来は「広告」と呼ばれるべきものが、

「報道」や「記事」のような形で披露されることを

ステルスマーケティングと言うらしいのですが、

アメリカやEUでは法律によって禁止されているそうです(「広告」の表示が義務付けられている)。

 

日本においては

それに該当するような法律はない、とのことで……

 

なるほど……

ということになるわけですが

そろそろ

そのような部分も改善されていくべき時期に来ているのではないでしょうか。

 

 

…………

 

次に

「2021年に延期された東京オリンピック

について考えてみることにします。

 

 

もし本当に来年東京でオリンピックを開催したいのであれば

今年は海外との交流をほぼ断つくらいでないとダメなのではないのかな、と感じます。

 

幸い、日本における新型肺炎の新規患者は抑えられつつあるようで(実際は検査数が少ないだけかもしれませんが)

この状態をキープできれば

「開催地として問題ない」という判断が下されることでしょう。

 

しかし

最近になって(5月15日)

抗体検査やPCR検査で非感染が確認された場合「陰性証明書」を発行し海外への渡航を認める(ビジネス限定)

(逆に「陰性証明書」があれば外国人の入国も認める)

ということが検討されているそうです。

 

ただ、

・陰性証明書が発行された後に感染する可能性

・抗体検査やPCR検査の信頼性がそこまで高くないということ

・罹患者が一旦「陰性」となったあと再び「陽性」となるケースが多数ある

ことなどを考慮すると

 

この施策は

感染の第三波(第一波中国由来、第二波EU由来)に繋がりかねないもの

として憂慮すべきものでしょう。

 

 

個人的な予想にしか過ぎませんが

このような施策が為された場合

2021年のオリンピック開催は少し遠のいてしまうのでは?

と思っています。

 

 

…………

最後に

「入学・新学期9月制」に関して考察してみます。

(5月27日に導入見送りの報道がなされましたが、既にこの項目をまとめた後だったのでそのまま掲載します。「9月入学」20・21年度の導入見送りへ 政府・与党」(日本経済新聞)より)

 

 

正直、今まで通りの4月制でも、新しい9月制でも

どちらでもいいと思ってます。

 

ただ、

 

ひとつ感じるのは

コロナウイルスによる新型肺炎の影響で

休校日数が増えたことへの対応として

「学期を4月から9月にずらせばよい」

と安易に考えてよいものなのだろうか?

ということです。

 

というのは、

その「学期をずらせばよい」というアイデアに、

今回の新型コロナウイルスSARS-CoV-2)以外の

もっと強力なウイルスが発生した場合はどうするのか?

ということが考慮されているとは思えないからです。

 

 

仮に

そのようなウイルスが今年の8月に発生したとしたら←

また同じような施策(学校を休校にする)が執られることと思われますが、

その場合、今度は

9月制をヤメて4月制にします

ということになってしまいます笑。

 

 

これは

治療薬の存在しない未知のウイルスが複合して発生する、というような特異な状況に限ったことではなく

全国区に渡る、規模の大きな災害、事故、事件、紛争等の発生によっても起き得ることなので

安易に「学期を変えればよい」と考えるべきではないことのひとつの根拠になり得ることだと思われます。

 

 

…………

 

ということで……

 

今回の更新では

新型コロナウイルスに関する話題のいくつかをまとめてみました。

 

 

世界においては

ロックダウンの解除等によって

少しずつ状況が良くなっているように受け止められているように感じますが

個人的には

以前にも増して不安な状況になってきているように感じます。

 

 

これは

新型肺炎のことももちろんそうなのですが、

それ以上に

世界の向かっている先に関して、ということになります。

 

具体的には

アメリカが領空開放条約から脱退したこと

アメリカがWHOから脱退したこと

・中国が香港国家安全法を制定し「一国二制度」を終わらせたこと

・西側諸国がその香港国家安全法を批判していること

等によって

 

世界情勢が極めて危険な方向に向かっているのではないか?

と憂慮されることによります。

 

 

それが

表立って現れれば

対立の激化が より鮮明となり

 

隠された状態で現れれば

今、流行しているコロナウイルスSARS-CoV-2)以外の 未知の疫病や

事件、事故、争乱、暴動、テロ、紛争等の発生が懸念されることとなります。

 

 

21世紀の現代において

ITだ AIだと

その隆盛を享受していた世界は、

「疫病」という昔ながらの人類の弱点によって

経済のみならず、生活様式といった面に関しても

あっという間に機能不全へと追いやられてしまいました。

 

 

そしてそれは

「それで終わり」

ではないのかもしれません。

 

 

コロナウイルスSARS-CoV-2)による新型肺炎

まだ「きっかけ」のようなものに過ぎず、

これからさらにたくさんの「様々な出来事」が起こっていき、

本当に

「もうこの世界は……」

というような所まで行き着いてしまう可能性もまたあるのです。

 

 

ただ……

 

そんな中にあっても

希望は残されています。

 

物事は行き着くところまで行けば転化・反転します。

 

 

そのことを

このブログの内容に(無理やりにでも)絡めるとすれば←

 

今のコロナウイルス(のみ)による不況に輪をかけて

なんらかの原因によってさらに経済が立ち行かなくなるような状態となり、

資本主義や共産主義社会主義)といった旧来の仕組みでは

にっちもさっちも行かなくなった時、

与配主義ならうまく処理できる

ということが世界中に知られるようになる←

とか、

 

これまで

三次元的、物質的、現世利益的獲得のみに焦点が当てられてきた世界が

儚く(はかなく) 脆く(もろく)も崩れ去る姿として

人々の記憶に刻まれる時、

三次元的ではないもの

それ以外のもの

それ以上のもの

を探し出す契機となる

といった形で

 

これまでとは違った感覚を

人々の中に生じさしめる

 

のです。

 

 

「今まで」とは一体何だったのか、ということ

「この先」には一体何があるのか、ということ

 

そのようなことを感じ考え始めるのは

もしかしたら

社会や生命の危機を如実に感じた時、なのかもしれません。

 

 

そのことによって

社会的、個人的危機は 「契機」となって……

災い転じて福となす

を地で行く世界が新たに生じ始めるのです。

 

 

今回の新型肺炎も、

また

これからさらに起こってくるかもしれない何らかの諸問題も、

災いと捉えればそれそのものでしかないわけですが、

それを乗り越えた先に

また新しい発見進歩があると捉えると

災いとは違った別の見方ができてくることでしょう。

 

 

…………

 

というわけで……

 

今回のエントリの内容を

どのようにまとめれば

このような結びになるのか よくわからないのですが笑

要は

現世的に何があったとしても

それにまったく影響を受けない世界がある

ということを

SF的に感じつつ

今回の更新を終わりにします。