空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

国策としての新型感染症対策における完全な解答、及びこれまでとは「違った形での諸問題を解決する方法」とは?

 

前回の更新で

今年重視していくことの一つとして

 

何か一見複雑そうな問題があったとしても

それを解決する手段はいくらでもあるのに

それが執り行われない世界とは一体どんな世界なのだろうか?

 

考察していく、ということが挙げられました。

 

 

現在、世界中でコロナウイルスによる感染症の蔓延が問題になっている、ということで

それを具体例として考えてみます。

 

とある政治家が

緊急事態宣言発令の時期に関して批判があがっている、ということに対して

「あとから誰でも何でも言える」

と発言したそうですが、

 

ここで考察することは

COVID-19における現在までの世界的な状況を踏まえつつ

今後、発生してくるだろう未知の疫病への対策として

先に言及しておく

というタイプのものです。

 

 

以前のエントリでも少し触れたことなのですが

感染症対策用の施設・設備を前もって用意しておく

ことが重要だと思われます。

 

具体的(パッと思いつく限り←)には

 

・人家が極めて少なく、広大な敷地のある地域に飛行場を造っておく

・その敷地内にビジネスホテル件病院のような施設(1000床程度くらい?)を造っておく

・収容数が足りなくなった時のために敷地内に仮設の治療・待機施設が建てられる用地を確保しておく

・施設の周りを壁で囲い人の出入りを完全に管理する

 

……というような箱ものを用意しておきます。

 

この施設は普段使わず空けておく、というのが前提ですが、

それだと維持・管理が難しい、ということであれば

通常時は自衛隊の訓練用にしておく

というのもいいかもしれません。

 

また、

全国の港湾のうち3カ所くらいを

感染症発生時、船便の受け入れ専門港」

として整備し

港の周りを壁で囲い人の出入りを管理、

ホテル件病院みたいな施設を壁の内側に建てておく

ということもやっておきます。

 

 

……ここまでを前提とし

このような用意をしつつ

 

海外で、これまでに知られていないような致死性の疫病が発生したら

一時的に人やモノの流入の一切を断つ

 

ことにします。

 

 

この「一切を断つ」というのは

文字通り

「どのような人も国内に入れない」

というような状況を作ることを指します。

 

 

海外から旅行やビジネスで訪れようとしている人はもちろん、

日本から海外旅行中の人、

仕事で海外赴任している人、

たまたま出張していた人等、ありとあらゆる人を含み

該当する人々の入国や帰国を一時的に一切禁止するのです。

 

 

ここまでやって初めて

国内においては

疫病の影響をまったく受けず

それまで通りの経済活動や生活が営まれていく

ことが約束されます。

 

 

感染者が入ってこなければ

国内における感染者は発生し得ません。

 

 

このことにより

最初から最後まで

感染者のまったくいない状態を維持することができ、

 

営業の自粛も

外出の自粛も

三密を避けることも

一切必要なくなる

 

こととなり、

 

今現在発生している、ありとあらゆる問題 ──── 

・感染者・重傷者・死者数の増加

医療崩壊の危機

・経済活動の自粛・低迷

・さまざまな補償や対策に費やされる莫大な費用 

等の全てが解決することとなるのです。

 

 

 

その時海外にいる人を受け入れないとか

人道的にどうなの?(ビザの期限等も含め)

 

 

確かにその通りなのですが

全体的な影響の大きさを考慮すれば

しわ寄せがいく部分があることも仕方がない、と割り切れるかもしれません。

 

 

この部分に関しては

先に挙げた「新感染症発生時、受け入れ専用空港・港湾」で対応することとなり

・その感染症への罹患をチェックできる方法(PCR検査等)が確立された後、

・空いた病床数の分だけ帰国者を受け入れ(パスポートやビザの期限等も考慮)

・14日間程度の待機期間を設け

・受け入れ時と退去時の2回以上罹患をチェックし

・罹患していないことが確認された後、退去できる

という形にすることで

国内への感染症の伝播を最大限防げる、ということになります。

 

 

 

 

 

が……… ← 

 

365日/14日(待機期間)×1000(床)=約26000(人)

ということで

空港に限れば

1年に2万6000人程度しか受け入れられず←

その時海外旅行していた人だけでも帰ってくるのに数年以上かかりそうですが笑

その間の滞在費用等は支給されることになります。

 

 

また、

今回のコロナウイルス感染症の初期段階で実際に起こったこととして

巨大客船の旅客者をどう扱うか?

といった問題が発生しました。

 

搭乗者が3700名ほどもいた、ということで

その扱いに難儀したわけですが

このような場合は

客船自体を待機・治療する病院に見立てる

ことにします。

 

症状の出ている人と出ていない人にわけ

感染が疑われる人は客船内に残り、待機・治療を受ける

症状が出ていない人は下船し、港湾内にあるホテル件病院で14日間待機、検査して問題なければ入国できる

という形にすることで

秩序立った感染症対策が行えることとなります。

 

 

受け入れ専用空港や港湾の整備・運用にそれぞれ数千億円、

対象者への滞在費の補償等で数千億円、

締めて数兆円くらいの経費が掛かるかと思われますが、

 

今回のコロナウイルス感染症における

医療費、各種補償・補助費用、キャンペーン費用等を合わせると

数百兆円くらいの財政出動が為されるであろうことを考えれば

 

「100年に1度程度の出現率で発生するような疫病への対策」

だとしても十分過ぎるほどに元が取れることでしょう。

 

もちろん

その施設は

疫病以外にも使える時があるかもしれないので

造っておくことに越したことはないと思われます。

 

 

 

 

………ここまで

今後、COVID-19のような疫病が発生したら

どうする(どうしておく)のが最善なのか

といったことがまとめられました。

 

 

ここまでやっても(というか「このようにしたら」というか)

航空会社や旅行・観光会社を始めとする

「海外からの旅客者を対象とした業界」は壊滅に近づくことが予想されますが

例えそうだったとしても

それ以外の分野は完全に守られることとなり

結果、

全体的な健康も経済も

安定した状態を保ったままの運営が可能になるのです。

 

 

 

………ということで

 

ここまで、

それまでにない新型の感染症が発生した際

執り得る施策における最善の「解答」が示されることとなりました。

 

 

 

 

が ──── 

 

 

今回のエントリや今年考察していこうとすることは

こういったことではない

ということを

改めて念を押しておきたいと思います。←

 

 

混迷を極める

新型感染症対策について

「完全なる解答」が示されたという点においては

画期的なエントリだと言えるのですが←

現実的な問題に対して

現実的な対処法を探る、というのは

これまで世界のやり方と何も変わりません。

 

 

今年、

そして今回のエントリで探っていこうとするのは

現実的な対処法(3次元的な対応)でなく

別の形での解決方法

ということです。

 

 

なぜ

そのようなものを考察しようとするのか ──── 

 

 

これまで(人類史上)

・何か問題が起こって

・それを解決する手段がある

・のにも関わらずそれが行われてこなかった

というような歴史が数千年(あるいは数万年)以上、続いてきました。

 

 

例を挙げればきりがないのですが

実際、今ある技術をもってすれば

ほとんどの犯罪が事前に防げる、

もしくは摘発率を大幅に向上させることが出来る、のにも関わらず

それをやろうとしていない世界が存在しています。

 

 

このことは、

 

実はこの世界においては

折々に発生してくる「問題」とは、その解決を迫るものではなく

「そのように問題が発生することの意味」自体を我々に投げかけているのでは?

 

 

といったような

ある種オカルトチックな受け取りの方が

むしろ正しいのかもしれない、という想いを抱かせるのです。

 

 

 

………書いていて

 

何を言っているのかワケがわからなくなってくるのですが←

読んでいる方はもっとチンプンカンプンでしょう笑。

 

 

もう少しかみ砕いてみるとすれば……

 

問題に対してどうするのかを喧々諤々議論し対処する、のではなく

(それも大切なことですが)

問題が我々の前に提示される「根本的な意味や仕組み」のようなものを考察する

 

ことによって

 

これまでとは

まったく違う形の解決方法(受け取り方の違い)に辿り着くのではないか?

 

ということを考えてみたいのです。(砕けてない)

 

 

もっとかみ砕くとすれば←

 

ものの捉え方、見方を変えれば

それは実は「問題」ではなくなるのではないか?

 

ということになり、

 

さらにぶっちゃけると←

ヒンドゥージャイナ教、仏教等で言うところの

悟りや解脱、涅槃といった境地から見れば

現世的にどのような事象が起こったとしても

なんの影響も受けない

ということとなり

それらは問題ですらなくなる

ということを

冗談やオカルト・トンデモ話ではなく

今、真剣に考えるべき時に来ているのではないか?

ということなのです。

 

 

いや、

それができれば苦労しないよ……

 

 

ということ以外の何物でもないのですが←

それを

無理なこと、非現実的なこととして捉えるのではなくて

少しでも近づくべきリアルなもの、として捉えていこうとするのです。

 

 

 

どうやって??

 

 

まさに

それ、なのですが……

 

そう簡単にはいかないであろうことは

簡単に予想できます。←

 

 

紀元前数千年前から伝わるとされる

ヒンドゥー系知識体系(含むジャイナ教、仏教)が

今現在どこまで(正確に)この世界に広がっているのか、ということを考えると……

気の遠くなる、というより

それこそ「さらなる多生」が必要になりそうではあるのですが←

もしかしたら……

な部分もないわけではないかもしれないので

少しずつ

その部分を掘り下げていければ、ということになります。

 

 

 

ということで………

今回、(軽めに)考えたいのは

 

人の「認識」とは いったいどのようなものなのだろうか?

 

ということです。

 

 

 

なぜ そのこと(認識の問題)から始めるのか?

 

 

解明しづらい問題を考察する時

最終的に行き着く場所はそこ(認識の問題)になるから、です。

 

 

 

パソコンやスマホ等で時事的な話題に触れると

それぞれに関して(主にSNS上で)様々な意見が交わっているのを見かけます。

 

アットホームで和むものもあれば

喧嘩腰で裁判沙汰になっているようなものまであり←

凄い時代になったものだと感心することしきりなのですが、

たぶんそこに存在しているのは

認識の違いによる意見の相違

なのだと思われます。

 

 

そして

21世紀の

2021年になっても

その部分(認識とはなんぞや?)が

あやふやなままで解明されていない

ことが

本来、問題にもならないようなことを問題視することによって

様々な部分で

大きな軋轢を生んでいるのかもしれない、と考えられることから

それを取り上げていこう、ということになるのです。

 

ただ、

重要なことなので先に言及しておきますが

「認識の違い」や「意見の相違」自体を問題にするわけではない

ことはしっかりと確認しておきたいところです。

 

その部分(違い)を否定することなく

「認識そのものの仕組み」みたいなものに

もっと光を当てることによって

 

自分たちの、

今までの、

「物事の受け取り方」とは

まったく違った形がある(のかもしれない)

 

ということに気付くことにより、

 

今よりも

「(何かが)治まった状態」が訪れるかもしれない

ということを期待するのです(長い)。

 

 

以上のことを

さらにまとめるとすると…… 

 

今現存している問題や

過去に発生した問題を(遠巻きに←)眺めるにつれ、

本当に重視すべきなのは

「問題の解決法」なのではなくて

「認識の仕方」の方なのではないのか?

 ということになります。

 

 

 

ここで……

 

「なぜそんな変なアプローチをしようとするのか?」

 

ということになるわけですが←

 

それは

今までのやり方ではダメだったから

ということ、

そして

今まで常識だと思われていたことが実は違っていた、とか

誰もそれに目もくれなかったような部分に何かとんでもなく重要なことが隠されていた………のかもしれない

ということにより、

その部分をもっと見えるようにすれば

(あるいはニュアンス的にチラっと触れるだけでも←)

 

これまで

何をしても変わらなかった物事が

ビックリするくらいあっさり変わる(かもしれない)

と期待できるからです。

 

 

もちろん

それを検証する手立ては(たぶん)なく

ただその指摘を信じるか否か

といった個々人の判断のみが残されるのだと思われるのですが、

仮に

その指摘が

「判定するまでもなくとんでもなく間違っている」とか

「ずっと以前から知られていたひとつの考え方に過ぎない」みたいなものだったとしても

読み物としては面白いかな、くらいは感じてもらえるかもしれません。←

 

 

そして………

 

 

触れようとすることは多岐に渡り

これ以降のエントリに何度か分けることになるのですが、

各々の内容に入る前に

先に言及しておきたいのは

 

それは「こちら側」で行われなければならないのかもしれない

 

ということです。

 

 

上記した内に

ヒンドゥージャイナ教、仏教で言うところの

 悟りや解脱、涅槃のような境地……」

という部分がありますが、

これまでの歴史上、聖者とか賢者、マスター、指導者と呼ばれたような偉大な人たちは(ヒンドゥー系以外にも)たくさん現れてきた、とされています。

 

しかしながら

その偉大な英知は

残念ながらこの世界にはあまり伝わっていないように見受けられます。

 

 

それは

感覚では捉えられないもの

言葉では表現しきれないもの

を表さなければならない、ということによることもあるのだと思われますが、

 

別の観点からすれば

 

その もの凄い英知を得た人たちは

生存していた時点で既に完全にこの世界を離れ

その「境地」の側に渡っていて

そちら側からの物言いであるために

こちら側ではそれをよく理解できない

というところから来ているのでは………

 

ということになるのです。

 

 

川があるとします。

川の向こうは悟りとか涅槃の世界で「彼岸(向こう岸)」

こちら側は無明の「此岸(しがん、こちら岸)」に当たります。

 

これまで

聖者、賢者、マスター、指導者のような人たちは確実に しかも思った以上にたくさん存在してきたのだと推測されるのですが、

その人たちの言動が

彼岸側から、彼岸の理論、彼岸の言葉、彼岸の行動で語られて来た故に

此岸側の私たちには理解できなかった……

のかもしれない。

 

だから

それは「こちら側」の理論や推測、言葉によって

難儀しながらも解明していかなければならないのでは?

ということになるのです。

(しかもまったくの見当違いかもしれない、ということを含みながら)

 

 

………ということを経て

このブログでも

そのことについて考察し、表現していく、ということになるのでした。

 

 

ということで………

 

たとえそれがまったくの見当違いであっても

既知なことであっても

なんとか

それに触れようと努力していくことにより

 

あるいは

回り道ながらも前へ進めるような……

 

あるいは

超新生ワープ航法が見つかるかも……

 

などとSF的に夢想しつつ←

今回の更新を終わりにします。