前々回の更新では「共産主義で参考になること」として「土地の公有化」を挙げましたが、今回は、資本主義で参考になることのひとつとして「企業の公有化」について考えてみたいと思います。
「企業の公有化て、それは資本主義じゃなくて共産主義だろ?」
イメージとしてはまったくその通りなのですが、まずは以下の記事をご覧ください。
一部抜粋します。
「GPIFと日銀を合わせた公的マネーは、東証1部の約1970社のうち4社に1社にあたる474社の筆頭株主となっており……(以下略)」(日本経済新聞 2016/8/29より)
この記事は2016年8月のものですが、
これが2017年の2月には
「公的マネーが大株主、980社 東証1部、時価総額の8%運用 GPIF・日銀」
(朝日新聞デジタル 朝刊[東京] 2017/2/26より ※リンク先では見出しのみが確認できます。記事は有料会員でないと見られないのかもしれません)
となっています。
2017年2月の段階で、東証1部企業の約半数の大株主が「公的機関」なのです。
公的機関が各企業の株主となることについては、さまざまな意味合い(利益と弊害)があると思われますが、ここではそれについては触れず、その事実だけに着目してみます。
2018年現在、その割合が増えているのか減っているのか、どのような構成になっているのかはわかりませんが……と、ここまで書いたところで6月27日付の日本経済新聞朝刊に
という記事が掲載されました。
内容の一部抜粋ですが
「 日本株市場で日銀の存在感が一段と高まっている。上場投資信託(ETF)を通じた保有残高は時価25兆円に達し、3月末時点で上場企業の約4割で上位10位以内の「大株主」になったもよう。うち5社では実質的な筆頭株主だ。」
とのことです(日本経済新聞 2018/6/27 朝刊より)
2018年、
日本における資本主義の最先端で行われていることが
その規模も「形式的なもの」とは言えない程の量となっていることがわかります。
これは
「異次元の緩和という金融政策によって生みだされた資本を、さまざまな分野に投入した結果の一端が、そのような形で現れた」
ということなのでしょうが、
その是非はさておき
それが可能なら、いっそのことその形を定着させてしまえばよいのではないか?
と感じませんか?
「自由な競争」こそが資本主義の根幹である
という考え方の人にとっては容認できないことだと思われますが、このブログでも示された通り「過度な競争が社会のみならず経済そのものにおいてさえ弊害となってきている」ように感じられることが多くなってきました。(「競争で良くなる時代が終わりつつある」参照)
最近多く見られる現象として
大手家電企業が儲けられなくなり、企業の存続が危ぶまれるほどの状態になる、というものがあります。
それは何を意味していて、何をもたらすのでしょうか?
・自分たちの生産性や消費性を考慮して中央銀行の政策が決められる。それによって市場に投入された資本を使って成長した企業が、過度の競争や、その他の理由により儲けられなくなり、細分化されるか、あるいは丸ごと外資に売られたり、倒産したりする
・市中銀行に預けた自分たちの貯金を使って貸し出された資本。それを投入された企業が儲けられなくなり ──── 以下同文
何か、ものすごくバカバカしく感じませんか?
中央銀行から供給される資本はもちろん、銀行から貸し出されるお金も、ある意味においては「公的なもの・自分たちのもの」です。
過度の競争や放漫経営、売れ筋産業の変化等によって、それらを減じる(外資に売り飛ばす)、というような状況は「公け」に対して極めて大きな影響を及ぼします。
それならば、
企業の経営が危うくなる前に、
効果的な対処を、
企業内だけでなく、
公的に行うことがあってもよい
のではないでしょうか。
実際、大きな企業が経営難になると、「倒産した際の影響の大きさ」が声高に触れまわされ、公的資金が投入されることとなります。
これまでも、銀行、住宅金融専門会社、流通、航空等、多数の企業に公的資金が投入されました。また、最終的には見送られたものの、公的資金投入の寸前まで検討された例も複数あります。
こうした実例から見ても、
都合の良い時にだけそのような形にするのではなく
基本的な制度として民間企業をもっと公的な扱いにした方が
より安定して永続できる経済が生み出される
のではないでしょうか?
ひと昔前までは
こういった主張は
資本主義の概念から大きく逸脱した
オカルト・トンデモ論として扱われていたことでしょう。
しかし、今現在、日本における最新の資本主義の形として
「東証1部上場企業の約4割において公的資本が大株主になっている」
という現象が実際に現れているのです。
そのことは
「結局、そのような形にした方が自然なのだ」ということを示している
と言えるのではないでしょうか?
理屈においても、現象においても、それが指し示されていること。
水が自然と低い場所を目指して進むように、その流れは定着していくのかもしれません。
このブログでは
資本主義や共産主義に代わる社会・経済システムとして「与配主義」というものを考察していますが、そこにおいても
「全ての企業を公有化することによって、さまざまな経営上の問題をなくしていく」
ことにより、
「経済全体が極めて安定的に堅持され、個人も社会も雪ダルマ式にハッピーになっていく」
という「誰もが求める究極的なシステムが完成する」ことをSF的に予想しつつ、今回の更新を終わりにします。