マルクスを丸くする 社会主義・共産主義の回顧
前回の予告どおり、今回は「社会主義・共産主義」について考察していきます。
……とはいっても、それについて学んだのはネットや新書系の薄い本、辞典等からのみなので極めて表面的なものにしかならないかもしれませんが。
そこでわかったこと(書かれていたこと)を簡単にまとめると……
・共産主義的な考え方はかなり古くから存在していて、旧約聖書の時代にもその原型を見ることができる
・ひとくちに共産主義といっても、比較的個人の自由が認められたものから禁欲的なものまでさまざまな種類の考え方がある
・社会主義とは……
生産手段の社会的所有によって平等な社会を目指す
資本主義から共産主義に変わる前に現れる社会体制(マルクスによる予想)
・共産主義とは……
私有財産制の否定と共有財産制の実現により貧富の差をなくそうとする(階級的性格のない個人所有はアリ、という考え方もある)
現代の共産主義は主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられた
プロレタリア革命を通じて実現される生産手段が社会的に共有された体制
・マルクスは社会主義を「労働に応じた分配」共産主義を「欲求に応じた分配」が為される社会だと説明している
……こんなところでしょうか。
マルクスやエンゲルスの著作物や理論に触発され、革命によって実際に社会主義や共産主義を掲げた国がいくつか誕生しましたが、その結果はどうなったのか?
ソビエト連邦は分解し、その他の国々も今では資本主義的な様相を呈しています。
「貧富の差をなくそうとする」「より平等な社会を目指す」という社会主義・共産主義の根本的な理念はいったいどこにいったのでしょうか。
大元の理念が失われたのはいったいなぜなのか?
そこをハッキリしない限り、次には進めなさそうなのでそれを考えてみたいと思います。
個人的には大きな問題点がふたつあると感じています。
ひとつは「闘争し過ぎる」ということです。
これは社会主義・共産主義の、というよりもマルクス主義やブランキ主義(暴力主義)において顕著な特徴だと思いますが、何においても「闘争」で解決しようとしているように見えるのです。
マルクスの著書に『フランスの内乱』というものがあって、その中でマルクスは
「革命のためには既存の権力をすべて根こそぎ破壊し新しい権力を構築しなければならない」
と述べているそうです。
また、マルクス主義には「プロレタリア(賃労働)階級が権利を獲得するために、ブルジョワ(資本家)階級から政治を奪い、独裁を目指す」という考え方があるそうです。
既存のものを破壊し、新しいものによる独裁によってその理念を行き渡らせる
スッキリしていてとても分かりやすいのですが、そのようにして作られる世界は本当に魅力あるものなのでしょうか?
目に見える敵対的な存在を挙げ攻撃目標とすることは、それに対抗するという点において人々に理解を得られやすいでしょう。しかし「敵」と認定された側の立場はどうなるのでしょう?
平等な社会を目指すはずのものが、成立の前提として「敵の排除」を掲げる時、その結果生み出される社会が、その理念通りになっている可能性は極めて低いと思われます。
また、そのようにして敵とみなされるものを破壊した後、目立った敵対勢力がいなくなった時、その批判や攻撃の矛先はいったいどこに向けられるのでしょう?
「敵」側としてはもちろん、「味方」側でさえ安心できない世界になりそうに感じてなりません。
社会主義・共産主義がうまくいかなかったことに関して、もうひとつの問題点として「欲望=心の作用 を軽視し過ぎた」ということが考えられます。
本能しかり、人の欲望が持つ力は非常に強いといえます。
人が行動する原理の大部分を「欲」が占めているといっても過言ではありません。
その欲は基本的に個人の欲求(我欲)から発生するわけですが、それを抑えることで成立する「個人的所有を排した(もしくは抑えた)禁欲的な社会体制」などという形は現実的ではないと考えるのが妥当でしょう。
マルクスやエンゲルスは、未来に理想的な世界が展開されるとした社会主義者・共産主義者を「空想的社会主義者・共産主義者」として批判したそうです。
「資本主義という現実の社会体制を掴み切れないまま社会・共産主義を論じている」という点において「空想的である」と評し、自らは膨大な資料を用いてその現状を認識し分析している、ということらしいのですが、その「分析し把握する者」とはいったい誰(どんな存在)なのでしょうか?
資本主義という体制を正確に捉え、打ち倒し、プロレタリア階級による独裁をもって共産主義社会を実現する
マルクスのその想いさえ、実は心の作用の一環であると認識する時、何をもって対象物を「空想的」だと批判できるのでしょうか?
人の心が形作る世界の力を把握しないまま(軽視したまま)社会体制を論じる、という点において、マルクスやエンゲルス自身もまた空想的であった、といえるのではないでしょうか。
空想を排し現実に則した分析によって現状に対応する―――唯物論的に展開され生み出されたはずのマルクス主義的社会・共産主義体制を標榜する国家が「現実的に」うまくいかなかったとすれば、そこに足りなかったものが何であるのかが見えてきます。
資料やデータでは表しきれない人の心の動きや働き―――欲望から夢や希望、そして信仰といった力まで―――目には映らない様々なものまで取り込んでいくことによって、社会・共産主義といった考え方では成し遂げられなかった世界が実現していくのかもしれません。