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空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

「お金を持っている人が必ずしもエライわけではない」という問題

経済・資本主義の次

 

今回は、以前のエントリ(「共産主義と資本主義の失敗は目指すベクトルを間違えたから」)の中で、資本主義の問題点として挙げられた「お金を持っている人(会社)が必ずしもエライわけではない」ということについて考察してみます。

 

このトピックには、ふたつの意味合いが含まれています。

 

ひとつは、文字通りの意味で「お金の多寡がその人の中身(徳や人格)を表しているわけではない」ということです。

 

求められているモノやサービスを提供してまっとうに稼いだ「お金」も、犯罪行為(詐欺、強盗、脱税等)によって手にした「お金」も、まったく同じ価値です。

 

現在の「お金のシステム」は、指標として単に「資産の量」しか表さないため、「どのようにしてそれを手にしたのか」が問われていないのです。

 

そのせいによってのみ、お金にまつわる犯罪は起きています。

 

オレオレ詐欺や、金融商品詐欺(未公開株や不動産投資等)、強盗やスリ、脱税等々……

 

お金をたくさん集めて豊かになる、という資本主義の理念はよくわかるのですが、その手段を問わないがために、これらの犯罪が「起きてしまう」のです。

 

「それができてしまう」から、「そうやって資産をつくることが可能」なために、犯罪者が産み出されてしまうのです。

 

それは、被害者にとってはもちろん、加害者にとっても悲惨なシステムといえるのではないでしょうか?

 

 

ただ、これは、現状のお金のシステムから「その入手手段を問う」システムに変えるだけで、簡単に防ぐことができます。

 

現状では、犯罪の発生後に、犯人が捕まった時だけ、処罰される、ということになるわけですが、「お金、もしくはそれに代わるシステムが、資産の形成手段をも表す」ようになれば、これらの犯罪は一切起こらなくなります。

仮に起こったとしても、被害の回復が容易になるでしょう。

 

システムを変えるだけで、人は犯罪から(被害の面でも加害の面でも)解放されるのです。

 

 

 さて……

「お金を持っている人(会社)が必ずしもエライわけではない」ということに含まれるもうひとつの意味合いを考えてみます。

 

それは

「お金を持っていることによって社会に貢献してきたことが、反映されていない、エライとされていない」

ということに尽きます。

 

もっと簡単にいえば「本来、人に尊敬されてしかるべき部分が、ないがしろにされている(エライという扱いを得ていない)」ということになります。

 

これは「税金」のことを指していて、納税額が多い人(会社)は、それだけで社会に対して大きな貢献をしているということになるわけですが、現状、だからといってなんらかの利益なり評価なりを得られていません。 

 

全体に対して広く貢献しているのにも関わらず、なんの見返りもないということは、その貢献している人や会社のモチベーションを著しく下げます。

 

そしてそのことは、社会全体に対しても「納税で貢献してもいいことがない」という認識を広げることとなり、その社会に対する不信感を増すこととなるでしょう。

 

 

以上

お金をたくさん持っている存在に関して

「獲得手段(経済か犯罪か)が問われていない」

「社会に貢献(納税)しても評価されていない」

というふたつの問題点が挙げられました。

 

これらのことから

資本主義の次に来るシステム、貨幣主義に代わるシステムにおいては

「お金(もしくはそれに代わるモノ)の獲得手段や履歴が全て把握される」

「社会に貢献した人(会社)ほど利益・評価が得られる」

という形にすればよい、ということがわかります。

 

 

このことにより

「お金(もしくはそれに代わる何か新たな指標)をたくさん持っている人(会社)は、無条件にエライ」という、これまでの問題点を全てクリアした社会が完成するのです。

 

 その社会においては、お金(もしくはそれに代わるもの)をたくさん持っている人に対する妬みやうらやみ、やっかみは一切なくなり、人々にそう知られるだけで、純粋な尊敬の念を集めることとなるのです。

 

 (具体的にどのような形のシステムにするかは、また後の更新で触れます)