空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

なぜ「お金」ではなく「順番」なのか?  ──── 貨幣制度の終わりと順番決定制度 ───

 

(最初の注: 今回のエントリは400字詰め原稿用紙18ページ強あるので、のんびりお読みください)

 

前前前回の更新で

「貨幣制度」の次のシステムとしてこのブログで提唱している

「順番決定制度」について詳しく取り上げました。

( お金から順番へ 貨幣制度の次は「順番決定制度」 )

 

そこで示されたことを簡単にまとめると、

 

貨幣制度は、さまざまな種類の価値を「お金」という指数に換算し、その絶対量を計ることによって資産量を表す

 

順番決定制度は、お金の代わりに「順番決定ポイント」で資産の絶対量を計り、それを「他の人のポイント数と比べソート(並べ替え)する」ことにより、順番という相対量に換算し、その順番に応じてモノやサービスをより早く、より多く手に入れることができるシステム

 

といった感じになるでしょうか。

(詳しくは お金から順番へ 貨幣制度の次は「順番決定制度」 をご参照ください)

 

 

資本主義では

「原価に『儲け』にあたるぶんを付加させ、交換することにより資産の増大を図る」

という形になっていますが

 

資本主義に代わる「与配主義」では

貨幣制度に代わる「順番決定制度」が用いられ

「 社会や個人に対して、より多く与えたり配ったりした人や会社が、より多くの順番決定ポイントを公的な第三者機関から与えられる 」

という形になります。

 

 

資本主義においては

資産量の多寡がその人自身の中身を表すことはありませんが、

(資産の形成手段が経済活動なのか犯罪なのか問われないため)

 

与配主義においては

与える行為(量および内容)に対して

資産にあたるもの(順番決定ポイント)が付与される

という基本設計により、

 

「順番決定ポイントをたくさん持っている人は単純に人として尊敬できる存在である」

 

「その「尊敬できる人」がより多くの利益(順番通りに早く多く)を得られる」

 

「老人や赤ちゃんその他、社会的な弱者でさえ、最低限の生活のみならず、それ以上のモノやサービスがオートマチックに与えられ潤っていく」

 

などといった、これまでの社会ではまったく見られることのなかった特徴が産み出されていくのです(資本主義や共産主義社会主義などとは比べ物にならないくらいのメリットが発生します)。

 

 

この

「たくさん与えたり配ったりした人」とは

それだけだと

「もの凄く偉大なことをする人」

というようなイメージになりがちですが、

実際には

資本主義で行われていることとまったく等しく

【人が欲するモノをたくさん与えた人】=【資本主義的にモノをたくさん売った人】

ということになるので

「これまで(資本主義)とは違う、何かもっとより良いモノゴトを人や社会に対して提供していかなければ……」

などと思い煩う必要はありません。

 

なので

そこに何か

「革命的な社会・経済の大転換」的なことが一切必要なく、

 

これまでの資本主義下で行われてきたことや

昨日までしてきた生活を

まったく同様に続けながら

システムだけ変えることにより

社会や経済の仕組みを簡単に変えることができるのです。

 

よって

昨日までは資本主義、

今日からは与配主義。

 

ということが実際にできるのです笑。

(もちろん、下準備は猛烈に必要になりますが)

 

 

順番決定制度の基本的な考え方は

 前前前回の更新( お金から順番へ 貨幣制度の次は「順番決定制度」 )を読んでもらうこととして、

 

それでは

 

なぜ 「お金」ではなく「順番」なのか?

 

ということについて考察していくことにします。

 

 

「お金」や「貨幣制度」、さらに「資本主義」や「共産主義」の問題点に関して、

これまでの更新でさまざまな角度から視てきましたが

今回の更新では

資本主義の中において行われる「競争」が、限界に近づいているのではないか?

という視点で捉えていきたいと思います。

 

 

資本主義における「競争」については

以前のエントリ「 「競争」で良くなる時代が終わりつつある 」で詳しくまとめたのですが、今回は、さらに掘り下げて考えてみることにします。

 

 

まず、競争そのものの概念についてですが

競争は

「同じ条件の下で」

行われることによって

その優劣を正確に比較することができます。

 

異なる条件(ある存在にとっては有利となり、別の存在にとっては不利となる)のような下では

判断の基準が明確にできないことから

「競争自体が成立しなくなる」

ということもありえます。

 

わかりやすいように 

特定の市場を例に挙げるとすれば……

 

・巨大な国営企業が存在している

・その市場に参入するためには、筆頭株主の条件や企業の形(合弁でないとダメ等)を指定される

 

というような市場(国)です。

 

自国以外の、条件の少ない、緩い市場には自由に参加しているのに

自国の市場には厳しい制限を用いて、よそ者を排除している

 

というような市場(国)があった場合、

そこに「公正な企業間の闘い」といったものは成立しません。

 

そのような場では「競争」自体が存在し得ないのです。

 

 

ご承知とは思いますが

ここに挙げたのは「中国の市場」です。

 

経済規模が日本を抜いて世界二位となり

その額も一位のアメリカに肉薄するほどになってきているということで

アメリカは中国に、より平等な市場となるよう開放を求めました。

 

それに対し、

中国は市場開放することを表明しましたが

そこに具体性が見られないこと、開放具合が少ないこと、即時性がないこと等によって

現在、米中間の「貿易戦争」とも呼ばれる関税の掛け合いが始まっています。

 

これは

「それならば、そちらと同じような(規制された)市場にするから」

というアメリカの意思が色濃く反映されていて

中国側が折れるまで続けられる可能性が指摘されています。

 

 

アメリカのこの姿勢がブラフではないのは

単に中国に対して関税を増すだけでなく

カナダやメキシコとの間で取り決められていた

北米自由貿易協定NAFTA)」を改定し

「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」に変えた、というところにも示されています。

 

この新たな協定によって

それぞれの国に対するアメリカの貿易赤字を直接減らすだけでなく

メキシコやカナダを迂回してアメリカ市場に入ってくる「その他の国の製品の儲け」を減らす効果が期待できるのです。

 

このことによって

アメリカよりも人件費の安いメキシコに工場を建て、そこで造った車をアメリカに輸出する、ということで利益を得てきた、得ようとしている日本企業にも大きな影響を与えることができます。

 

 「メキシコで造っても、そんなに利益は出ないぜ。ならアメリカで造ろうや」

 

ということです。

 

 

さらに

この「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」には

「非市場経済FTA」という条項が付帯されており

市場経済国と自由貿易協定を結ぶ国は結果的にUSMCAから離脱することになる、というような内容が含まれているそうです。

 

この「非市場経済国」というのは現時点で中国を指していると捉えられていて

アメリカ以外の国(カナダ、メキシコ)を通って入ってくる中国製品も締め出す」

という強い意思表示がなされているのです。

 

これらのことは

単にトランプ大統領の思いつきだけで行われるようなものではなく

議会も含め、極めて周到に準備、根回しされた上で行われていることが見て取れることから、

仮に大統領がトランプ氏でなくなったとしても

少なくとも共和党が優位なうちは続けられていく姿勢だと予想されます。

 

 

以上のことを

総体的に捉えると

「世界最大の市場を持つアメリカは、自由な競争から降りることを選択し始めた」

ということになるでしょうか。

 

それは

一般的には「保護主義」と称されますが

事態はもっと深刻なのかもしれません。

 

 

資本主義では

「モノの売買や投資などによって資本を増加させて(儲けて)いく」

ことを目的としますが

 

アメリカにおいては

「グローバルで自由な競争市場を、閉鎖的な市場に対しても維持してたら赤字垂れ流しになっちゃった」

という現実を踏まえ

 

「やっぱり儲ける(赤字にならない)ためには、規制された市場と同程度の規制をする必要がある」

という結果に行きついた、ということになります。

 

 

また

そのような結果を(図らずも)導いてしまったといえる中国も 

「相手の市場には自由に参加し、自国の市場には厳しい制限を持って相手を排除する」

という姿勢こそが

その破竹の勢いで成長する経済状況を生み出した根源的な因子のひとつである、ということは否めないでしょう。

 

 

これらのことはつまり

資本主義的に大きく儲けるには

「自分には有利な条件で、相手には不利な条件を設定して取り引きする」

ということが一番なのではないか、ということを示しています。

 

そして

このことは

30年ほど前から

「グローバルな自由競争市場こそが重要である!」

といったことがさかんに喧伝され、実際にそのようにしてきた日本市場が

「失われた20年(もうすぐ30年)」

という言葉を生み出してしまっていることと無関係ではないのかもしれません。

 

 

ということで……

 

以上が

 

同じ条件でなければ「競争」自体が成り立たないのではないか?

 

ということについての考察となります。

 

 

 

そして……

 

次は

同じ条件の市場内における「競争」について考えてみます。

 

 

ある国の市場内で

その国の資本によって作られた会社同士の競争です。

 

例えば……

それまでになかった

まったく新しいタイプの製品がA社によって開発・販売されたとします。

 

・他の会社でそれを造っているところはなく、高価であっても飛ぶように売れていき、A社は大きな利益を得ることができます

 

・それを見た他企業はその製品に似たものを造り販売します。独自の魅力的な機能がない限り、先に市場を取っているA社には敵(かな)いませんが、A社の製品とは違う機能を盛り込んだり、より低価格で販売することにより市場を獲得していきます

 

・その市場に参加している企業間において、品質、技術、価格の競争が起きていきます

 

・技術開発が限界に近づくと、価格競争が激化します

 

・価格競争にも限界があり、卸値や販売価格が原価に近づいていくことにより、メーカーは儲けを出せなくなっていきます

 

………

革新的な製品が普及品となるまで、

以上のような変遷を辿るでしょうか。

 

 

価格競争自体は

技術開発の限界が来ていなくても起こります。

 

消費者は

同じものであったら、

あるいは

同じ程度のものであったら 

より安いものを求めるからです。

 

 

品質や技術、デザイン等に目立った差があれば

それがそのまま価格差として顕著に現れることになりますが、

それらの差が縮まれば縮まるほど

価格も同じようなものにせざるを得なくなるでしょう。

 

そこにおいても厳しい競争が行われるとすれば

それは自らの「儲け」を減らすことに繋がり

その限界(原価)に近づいていくこととなります。

 

 

資本主義においては「原価に儲けを付加しそれをやり取りすることで自己資本を増やしていく」ことを目的とするわけですが、

「競争すればするほど儲けがゼロ(原価)に近づいていく」

という現象は、資本主義というシステムの根幹に相反している

といえるのではないでしょうか?

 

 

 

……以上のことにより……

 

異なる条件下では

「競争自体が成立し得ず」

 

同じ条件下でも

「競争が行きつくところまでいけば儲けがゼロ(原価)に近づいていき、資本主義の概念と矛盾しだす」

 

ということが示されました。

 

 

ただ……

ここで取り違えないようにしておきたいのは

「競争自体が悪いわけではない」ということです。

 

競争することによって

より良いモノが生み出されていき

それが安価で手に入るようになるから

です。

 

しかし、

資本主義というシステムにおいて行われる過度な競争は、システムの根幹を揺るがしかねない矛盾をはらんでいる、のです。

 

 

そして……

 

ここで登場するのが

与配主義であり順番決定制度なのです。

 

 

資本主義において、

競争によって価格が原価に近づいていき儲けがなくなっていく

というような場合、その企業はいずれ破綻します。

 

そして

プレーヤーを変えて、同じことがまた行われていきます。

 

 

しかし

与配主義においては

 

「 造ったモノやサービスを社会に対して与えたり配ったりすることに対して、公的な第三者機関から、お金に代わる指標(順番決定ポイント)が付与される 」

 

というシステムにより

 

「儲ける」必要がないのです。

 

 

このことは

「原価でモノを売った(配った)としても、企業活動を持続していける」

ということを示しています。

 

実際は

与配主義内では

資源や労働力といったものも

社会に対して「与えられる」ものである、と捉えられることから

原価自体が限りなくゼロに近づいていきます(人件費や原材料費等の概念がなくなる)。

 

国外から輸入しなければならないものに対してだけ、価格的な意味(原価)を持つだけでよいのです。

 

 

ただし……

 

そのような形で造られたものであったとしても

モノを簡単に捨てたり、粗末に扱ったりしないようにするためだけをもって、

「儲け」に当たるようなぶんを上乗せした価格設定がなされることになります。

 

それでも

これまで(資本主義)と比較して

3分の1とか4分の1くらいの値段(←なんとなくな感じ)で

さまざまなモノを手に入れられることになるでしょう。

 

 

そのようにして作られたモノやサービスは

限りなく巷(ちまた)に溢れることになります。

 

それらは

欲しい人に与えられる

(実際には資産(順番決定ポイント)との交換となる)わけですが

そこで考慮されるのが

「順番決定ポイントの保有量」です。

 

 

ただ単に「配る」という形だと

早い者勝ちになったり

力(腕力、権力等)の強い者勝ちになったり 

するのですが

ここに

 

「 順番決定ポイントの保有量を比べ、その多い順にソート(並べ替え)し、その順位の高い人から順に、より早くより多く与えられ配られる 」

 

という形を設定することにより

 

人や社会に対してより多く与えたり配ったりした人や会社が

より早くより多く得られる

 

ようになるのです。

 

 

このことにより

 

・努力した人が努力したぶん、きちんと得られる

 

・より多く与えたり配ったりする人が社会のトップにランキングされてくることにより、社会全体の安定度が増し、より「与え合う」状況になっていく

 

・資本主義で成功していた人は与配主義においても成功する可能性が高い

 

・社会的弱者にもオートマチックに与えられていくことにより、誰もが安心して生活していける

 

……等々といった利点が生み出されていくのです。

 

 

………………

 

これまでの世界では

先進国だけが、何らかのエポックメイキングなものを生み出し、造り、売ってきました。 

 

それが

後進国においても、知識や技術、生産設備等を手に入れることにより、できるようになってきました。

 

そこで行われるモノの競争(品質、機能、価格等)によって

全ての企業が、儲ける機会や量において「減る」傾向になってきている、のかもしれません。

 

 

儲けがゼロ(原価)に近づいていく価格競争は

「より儲けていくことを目指す」資本主義経済自体を脅かすものとなるでしょう。

 

資本主義においては

原価でモノを売って、生産活動を続けていくことはできません(新たな設備投資や新規製品の開発等ができなくなる)。

 

それに対し

与配主義においては

原価でモノを売って(配って)も、問題なくその活動を続けていくことができます。

 

そこにおいては

儲けることに意味を見出さず

与えたり配ったりする行為(内容や量)に意義を認めるからです。

 

そのことにより

欲しい人には与えられる(実際は少額な対価交換となる)

という

造る側も欲しい側も同時にハッピーになれる社会が完成するのです。

 

 

 

ただし……

問題がまったくないわけではありません。

 

というのは

そのようなシステムにおいては

 

それをどのようにして配るのか?

 

が問題となるからです。

 

 

先述の通り

ただ単に配るという形にすると

早い者勝ちや腕力・権力の強い者勝ちとなり

そこに醜い奪い合いが発生してしまいます。

 

 

そして……

 

それを避けるために

 

順番通りに配ればいい

 

という概念が導き出されるのです。

 

 

モノが原価や無料に近い形で配布されるとなると

福袋しかり

バーゲンセールしかり

家電量販店の特価セールしかり

スーパーの半額見切り品しかり

目をそむけたくなるような争いが発生します笑。

 

しかしながら

順番決定制度により

持っている順番決定ポイントの量でソート(並べ替え)し、その順番通りに処理される

という形にすることにより

まったく混乱することなく、争うことなく

理論的かつ効率的に配られることとなるのです。

 

 

……………

 

お金を指標とする世界において

「儲けを上乗せして交換していく」というシステムが

限界に近づいてきているような現象が多くなってきているように感じます。

 

そのことはそのまま

資本主義の終焉が近づいている、ということを意味しているのかもしれません。

 

 

そして

そのような時代においては

「儲ける」ことを主眼とした「お金」を増やそうとする経済ではなく

「配る」ことを基盤とした「それを手に入れる順番」を競う経済にする

ことによって

 

資本主義の終わり、

儲けられなくなった時代においても

持続して経済活動が営まれる社会が誕生することが期待されるのです。

 

 

さらに………

 

それは

その形を逆にすることで

もっと苛烈な変化をこの世界にもたらすことが予想されます。

 

「逆」とは

資本主義が終わりつつある時に

それを与配主義に代えていく、ということを模索していくのではなく

 

まず実際に

順番決定制度を用いた与配主義の社会を現実に創ってしまう

ということです。

 

 

このことにより

資本主義のみならず、共産主義社会主義といったシステムが

過去の遺物となるほどの変化を生み出す

……ということを Science Fiction(SF)的に予想しつつ今回の更新を終わりにします。