空想・科学・特異点 

Science Fiction Singularity

資本主義の終わらせ方 ──── 今までの方法論を超えて

 

毎年、

ブログ誕生日にあたる4月1日は

いつも以上に内容を充実させた(労力を掛けた)エントリを更新してきました。

 

今年は

「資本主義の終わらせ方」という

けっこう、というか

かなり大それたことを書こうかと思っていたのですが、

年明け早々からのコロナウイルス騒動で

そちらの扱いを優先した結果、

元々書こうとしていた内容を4月1日までまとめることができませんでした。

 

ということで今回、

5ヵ月遅れで

それについて記してみます。

 

 

 

資本主義はどのようにして終わる(形を変える)のだろうか?

 

…………というようなことをイメージし

頭の中でまとまったのが昨年(2019年)末くらいでした。

 

あとは

4月1日に向けて

それを3ヵ月ほど掛けて まとめていくだけだったのですが、

年が明けてすぐ

コロナウイルスによる疫病が世界規模で広まり出したことで

その予定は完全に崩れたのでした。

 

 

「資本主義の終わり方」を考察する、ということは

この世界にとって極めて重要なことに違いないのですが、

 

これまでにない症状を引き起こすまったく新しい感染症

極めて短期間に拡大し 収束の気配もまったく見せない、という状況においては

その「強烈な疫病」の方を優先して取り扱うのは当然のことと言えるでしょう。

 

 

というのは、

そのような疫病がはびこる世界においては

別に

「資本主義の終わらせ方」なんて考えなくても、

普通にリアルに現実の方で

「資本主義という形が崩壊してしまうのでは?」

というような状況が浮かび上がってくるからです。

 

 

コロナウイルス感染の蔓延による生活様式の一変、

 

外出を控える

三密を避ける

外食を避ける

夜遊びを避ける

会話を避ける

リモートワーク化

旅行の自粛

帰省の自粛

その他……等々、

 

「縮小」どころではないレベルの経済活動の抑制によって

「これまで当たり前だった社会」を

これまで同様に維持していけるのか……

いや、それはもう難しいのかも……

といったような状況が

誰の目の前においても現実に展開されているのです。

 

 

それは何も

「今後こうなるかもしれない」という「予想」のようなものでは既になく、

実際に大手メーカーや外食産業、航空・鉄道会社等の決算の赤字額が

想像以上に巨大なものとなっている、という事実によって示されています。

 

逆に

この状況が好決算に繋がる業界や企業もまたあるわけですが、

全体的に見れば

仕事の減少、儲けの減少、雇用の減少、消費の減少……といった形で

縮小が縮小を生む、ような状態になっていくと考えられます。

 

 

現時点では

あまり触れたくないことなのではありますが、

仮に

新型コロナウイルスSARS-CoV-2)はワクチンや薬によっても収束しない」

というようなものだった場合、

この形は元に戻らないまま、縮んだままの経済がずっと続いていく、という可能性も考慮に入れておかなければなりません。

 

そのような中において……

 

自由競争、市場原理、グローバル経済等といった言葉で修飾されたような

「これまでの資本主義」が続いていくような要素は

いまだ存在していると考えてよいのでしょうか?

 

 

昨年末の時点では

( 「資本主義の終わらせ方」という ブログ誕生日の4月1日にふさわしいエントリを思いついたぞ )

というような気持ちでいたのですが←

実際の世界が

「ブログに書こうとしていたオカルト・トンデモ的理論展開」よりも

もっと強烈な形で現れ出でる時、

それは既に記す必要のないようなものと化してしまいます。

 

 

事実は小説より奇なり

 

とはよく言いますが、

奇のてらいようがないほど

リアルな世界の方が

不可思議な様相を呈す、のです。

 

 

…………

以上のようなことにより、

 

ブログ開設以来ずっとメインに取り扱ってきた

「資本主義や共産主義に代わる新しいシステム」のこととか

「本当の幸せとはいったいなんぞや」といったことから離れ、

コロナウイルス関連のエントリのみを優先して更新してきた、ということになります。

 

 

ただ……

またぞろ、

本来は終焉に向かうはずのようなものを

だらだらだらだら延命措置を繰り返し

ゾンビ化したようなものを生き永らえさせてもしょうがないので←

今回

本来4月1日にアップするはずだった内容をまとめていくことにします。

 

 

……………

 

資本主義を終わらせるにはどうしたらいいのか?

 

 

このような問いに対して

最も真剣に頭を使って考えてきたのは

 

・資本主義ではダメ

・資本主義よりも良いシステムがあるはず

 

と感じてきた人々ではないでしょうか?

 

 

そういう意味において

これまで

共産主義こそが、

社会主義こそが、

この世界にとって(私にとって)最も良いシステムである

と感じるような人たちがその任を担ってきたと考えられます。

 

 

共産主義者社会主義者

どうやったら資本主義を終わらせて共産主義社会主義)に出来るのか……

ということを長々と

それこそ数百年(あるいは数千年)規模で考察してきたのではないでしょうか?

 

しかしながら

それは終わるどころか

近年ますます隆盛を見せ発展し続けています。

 

経済という分野に限っては

共産主義を標榜する国々をも資本主義様に変節さしめつつある、

というのが現実です。

 

 

なぜなのでしょう?

 

 

長い時間を掛け

それを専門に学んだような、いわゆる「学者」とか「知識人」、

あるいは

直接政治に携わっている「政治家」、

そして

「活動家」と呼ばれるような人たちが、

さまざまなアイデアを出したり実際に行動を起こしたりしながら

結果を出そうと努力してきたのにも関わらず、

ほとんど変わらない状況が続いている。

むしろ資本主義的な傾向が強まっている。

 

 

このことは

「常識的な形」で考察したり行動したりしても意味がない

ということを示しているのではないでしょうか?

 

その「常識的な形」とは

「アカデミックな世界で評価され、その中やメディアにおいて持ち上げられること」や

「目立つ形でのカウンター活動で力を誇示したりメディアに取り上げられる」

といったことにより、

世界にある種の(資本主義以外の)在り様を示す

というようなことを意味するのですが、

それらは

形式的に一時的に もてはやされることはあっても

実際の社会に対してはほとんど(というかまったく)影響を与えることがありません。

(というように見えます)

 

 

このことをより端的に表すとすれば

「資本主義を否定する人たち」の間で

「資本主義を否定する新進気鋭の人や現象」が出現することで盛り上がる

けれども

それらは結局、自己(界隈)満足に終わっている

ということになります。

 

 

このことから

「その界隈の理屈」とか

「(界隈にとって)常識的な考え方」とか

「学術的には」とか

「誰それ(主に海外の著名な人物)はこう言っている」とか

「デモが」とか

「行動が」とか

「革命が」とか等のようなことに囚(とら)われていては

目的(資本主義を終わらせる、もしくはそれに至る筋道を明示する)を成し遂げることができない

といったことが導かれるのではないでしょうか?

 

 

このことは逆に

これまで(常識)通りのカウンター的存在とは

まぎれもなく「資本主義側の思うつぼ」である

ということを示しているのかもしれません。

 

この点に関しては「実際にその通りの存在である」(資本主義の思うつぼ)といったことが裏付けられるのですが、それは後に詳述することにします。

 

 

……ということで……

 

以上のようなことを念頭に

「これまで通りの考え方、やり方」ではなく

「これまでとは違う形」を模索していくことにします。

 

 

ここでいう「これまでとは違う形」とは

「資本主義をどうやって終わらせるか?」という形で考えるのではなく

「資本主義は どうなったら終わらざるを得ないのか?」という形で捉える

というものです。

 

「終わらせる方法」を探るのではなく

「それ以上続かない形」を考えてみるのです。

 

 

たぶん

この「資本主義がそれ以上続かない状態・形」についても

共産(社会)主義を研究している人たちによって

以前(数百年以上前)から考えられていることとは思うのですが、

現時点でも資本主義が続き発展している、ということは

「その状態に いまだ至っていない」か

「その状態を規定できていたとしても資本主義をそこに導けていない」か

「資本主義がその状態になっても終わらなかった」ということを意味しているので、

これまでに考えられてきたどのような事例にもあまり意味がなかった、と捉えることにします。

(’それが(特に共産・社会主義界隈で)どのように高名な人物(例えばマルクスとか)による指摘なり提言であったとしても)

 

 

よって

このブログでは

「界隈的常識」によっては考えられないようなこと

すなわち

オカルト・トンデモ・噴飯的理論展開をむしろ積極的に活用して←

それらのことについて考えていくことにします。

 

 

ということで……

そのような前提において考察してみたいのが……

 

資本主義における「究極の答え」が見つかったらどうなるのだろう?

 

ということです。

 

 

資本主義における「究極の答え」とは

すなわち

「最も効率よく儲けられる方法」

ということであり、

それは業種を問わずどのような会社組織においても有効な

「システムとして最も効率よく儲ける方法」ということになります。

 

 

ここで、

より理解を助けるために

具体的な例として

酒類メーカーを挙げて考えてみることにします。

 

 

日本の酒類メーカーをピラミッド状に配置すると

そのトップ(頂点)にはビール系大手4社が並びます。

 

その下に

ビール、焼酎、日本酒等を造る各メーカーが売上高に応じて並んでいき、

一番下に

地域密着、家族経営的な小規模メーカーが位置する、といった形になります。

 

 

そのピラミッドの中に

「資本主義における究極の答えを発見した会社」が新規参入すると仮定します。

 

完全な新規参入ということで

始めは

最底辺の位置において

小規模な設備、人員でやりくりしていくことになりますが、

「最も効率よく儲ける仕組み」を知っているがために

同じ規模の会社と同様のことをしていても

利益がどんどん増していきます。

 

その利益率の高さにより

銀行なり投資家なりから資本を簡単に集めることができ

生産規模がすぐに大きくなっていくこととなります。

 

さらに

利益から捻出される費用を用い

宣伝・広告活動を広げていくことで

知名度の上昇と共に売り上げも増加、

やがて中規模企業として位置づけられるようになります。

 

株式を上場、さらに資金が集まり

生産、流通、販売のどこにも欠点がない状態で経営は続き

やがて4大ビールメーカーと肩を並べるまでになっていきます。

 

そして……

いずれ全ての酒類メーカーの頂点に立つことになります。

 

なにしろ

「資本主義における究極の答えを知っている会社」

なのですから。

 

 

…………

 

「具体例」としての荒唐無稽さはともかくとして←

本当に

そのような会社が出現したとしたらどうなるでしょう?

 

資本主義下において

「最も効率良く儲けることのできる仕組み」を解明した組織が

文字通り破竹の勢いでその業界を駆け上がっていく、としたら。

 

他の企業は

 

「なぜ新規企業があのような活躍を?」

「どうすればあのようになるのか?」

 

というようなことを感じ、

 

その(もの凄く儲けられる)理由を知ろうとし

知った後はそれと同じようなことをし始める

のではないでしょうか?

 

 

なにしろ

その仕組みこそが

「最も儲けられる形」ということになるので、

資本主義下においては

それと同じ仕組みを使わないわけにはいかなくなります。

 

その仕組みを使わないということは

自らの売り上げを

その企業に奪われていくことに繋がり

いずれ自社が縮小なり破綻なりしてしまうことが前もって予想されるからです。

 

よって

誰か、もしくはどこかの企業が

「資本主義における究極の答え」を発見しそれを行使する時、

資本主義下で営利活動を行う企業は

すべからくその「究極の答え」に従った形に統一されることになります。

 

 

そこでは

 

会社の名前は違うし、行うことも違うけれど

「会社運営の仕組みがまったく一緒」の会社ばかりとなる

 

ことになります。

 

 

 

これまでの資本主義においては

自由競争や市場原理といった概念によって

運営の仕組みを含めた各企業間の製品やサービスの違いが取りざたされてきましたが

ここにおいては

「運営の仕組みが全ての企業でまったく同じ」

になるのです。

 

そのことが意味しているのは

見かけ上の競争は存在していているけれども

運営的には各企業間における相違はなくなる

ということです。

 

 

その様子・状態を俯瞰的に眺めてみると

運営の仕組みがたったひとつのシステムに集約される企業群

という形になっているわけですが、

そこにおいては

「競争」や「競合」といった概念が薄れてくる可能性が、

さらには

「別企業」として存在する意味があるのか? といった疑問が、

浮かび上がってくるのかもしれません。

 

 

このことはつまり

 

「すべての会社の運営形態がまったく同じもの、ひとつのもの」になる時、

「競合相手」とか「別企業」といった概念が消滅していく可能性がある

 

ということです。

 

 

そこに至っては

特に何の「制度の変更」や「システムの転換」「革命」等ないままに

資本主義が もはや資本主義ではなくなっている

というようなことになっているのかもしれません。

 

 

形としては「別企業」として存在していても

運営的には「まったく同じシステム」を採用している企業群がある時、

外部から「資本を受け その資本に見合ったリターンを返す」ということよりも

「同じシステム内で融通しあって そのリターンを共有し合う」方が

より効率が良い(お互いに儲けられる)こととなり、

その形は完全に「これまでの資本主義」を否定するからです。

 

また

この「同じシステム内で融通し合う」という部分を

「公的にも行う」とすれば、

 

その恩恵は「国庫」にも及ぶこととなり

そのことにより

税などの様々な「個人負担」が軽減されていくことになるでしょう。

 

 

現在の資本主義下においても

経営規模の大きな企業が傾くと

「このまま倒産すると影響が大き過ぎるので税金を投入して債務(破綻)処理していきます」

というようなことになるのですが、

そのことは

既に完全な「自由競争」とか「市場原理」のようなものは存在しておらず

場当たり的に資本主義というものを都合の良い形に取り扱ってよい、ということでもあるので、

「国と民間が双方得するような形のシステム」を新たに構築したとしても

「その形は自由資本主義の原理に反する」といった指摘は回避できることになるでしょう。

 

そのこともまた

「これまでの資本主義」という概念を

完全に終わらせることに繋がると考えられます。

 

 

 

…………ということで……

 

以上のようなことによって

「資本主義は終わる(形を変える)」

ことになるのです。

 

 

…………

ここまで、

 

資本主義の終わり方に関して

新しいタイプの説が提唱されました。

 

それを簡潔に表すと

資本主義の終わり(形の変化)とは

 

資本主義の「究極の答え」が見つかり

それが実際に行使された時なのではないか?

 

ということになります。

 

 

 

そして……

 

ここに至って

上述した

共産主義者社会主義者が行ってきた

これまでのカウンター的活動が資本主義側の思うつぼであった

という部分に行き当たります。

 

 

これまでの

共産(社会)主義側の主張の仕方を端的に表すと

 

「資本主義のここがダメ。だから共産(社会)主義に」

 

といったような形であったと思われます。

 

 

しかし

今回の考察に多少なりとも真実性があると仮定した時(ないかもしれない←)

資本主義は

その「究極の答え」が見つかりそれが行使されることによって終わりに近づく

すなわち

「究極に進化した」時、終わりを迎える

ということになるので、

 

そのシステムの

「ダメな部分を指摘して<交代を促す>」という行為は

「資本主義を停滞させる」ことに繋がり、

より資本主義の終わりが遠のく

結果として現れることとなるのです。

 

 

「資本主義のこの部分がダメ! だから共産主義にしましょう!」

と言えば言うほど資本主義が続いてしまうのです。←

 

 

それは

資本主義側にしてみれば「にんまり」してしまうような状況(思うつぼ)ということになるでしょう。

 

 

さらに、

これまでのカウンター活動が

資本主義側にとって「思うつぼ」であるのは、

「ここがダメ!」と言われた部分は

いざとなったら「治せば良い」ということになるので

何がダメなのかということを自ら反省する必要がない、ということです。

 

 

例えば……

有権者が何らかの「資本主義的な問題点に」相当怒りを感じているような時、

共産(社会)主義者が

「これは完全に資本主義というシステムの問題だ! 資本主義を倒そう!」

と主張し、社会全体が実際にそのような雰囲気になってきたとします。

 

そのような場合、

資本主義側は

「わかりました。確かに資本主義のそのような部分は間違っていました。すいませんでした。すぐに治しますから許してね」

と即その部分を矯正。

 

すると

大多数の民衆は

「それならいいや」

と溜飲をおろし元の場所へと還っていくのです。

 

結果、また資本主義が優勢に……

いや、

資本主義の実質的な問題点が完全に改正されることにより

ますます永く資本主義が続いていく堅固な基盤が形成されることとなるのです。

 

 

問題を指摘することで資本主義を「停滞させ」てもそれは長続きし、

大問題を指摘することで資本主義を「転覆しかけても修正され」て さらに永続きするのです。

 

 

…………

以上のことから……

 

本当に資本主義の代わりに共産主義社会主義にしたいと思うのであれば、

これまで行ってきた

「資本主義を批判し、理想の共産・社会主義を喧伝する」

といった姿勢から真逆に転換し

「全力で『究極の資本主義』を考察し それを行使する」

ようにならなければならないのかもしれません。←

 

共産(社会)主義者こそが

資本主義の「究極の答え」を探し出し

その資本主義を行使しなければならないのです。 

 

 

…………

ということで……

 

これまで考察されてきたであろう「資本主義の終わり方」とは

一風変わった理論が展開されたわけですが←

これは

「またそんなオカルト・トンデモ論を……」

と片付けてよいようなロジックなのでしょうか?

 

 

 

以前のエントリに

「競争」で良くなる時代が終わりつつある(2017年8月8日更新)

というものがあります。

 

sfsingularity.hatenablog.com

 

この中で

競争で良くなる時代の終わりを感じさせる具体例として「運送業」を取り上げました。

 

そこでは

各企業が一斉に値上げに踏み切ったということから

「競争の原理」が働きにくくなってきていること、

さらに

同業他社間で「共同輸送」の検討を始めたということから

「競争よりも協業した方がお互いに儲かる(低コストで済む)場合がある」という認識が広まってきたこと、

等が明らかにされました。

 

 

また

このブログオリジナルの提言として、

「物流各社間で共同輸送の検討を始めた」ということなら

いっそのこと、

都道府県ごと

もしくは各ブロック(北海道、東北、関東……等)ごと

高速道路上に

超巨大集配センターのようなものを公的に造り

それを物流各社が共同で利用し

個人の荷物も法人の荷物もすべてそこで さばけば良いのでは?

といったことが示されたのでした。

(未読の方は一読をオススメします)

 

 

そして……

 

これは

今年、2020年8月16日付けのニュース記事です。

高速道に物流中継拠点 長距離・長時間運転を抑制 ー 国交省」 

時事ドットコム

 

www.jiji.com

 

 

高速道路上に物流中継拠点を設け

「トレーラーの積載部分を積み替える」ということにより

運転手の労力を低減させる形を検討している、とのことですが、

これは

上記したエントリの一部が

実際にこの世界に現実として現れてきた

ということを示しているのかもしれません。←

 

 

ただ……

 

どうせやるなら

トレーラーの積み荷部分を交換する、なんてせせこましい形にしないで

もっと大きな形で(すべての物流会社の拠点を)

都道府県ごと

もしくは各ブロック(北海道、東北、関東……等)ごと

一カ所にまとめてしまえばよいのに……

とか思うのですが

どうなんでしょう?

 

 

…………

また、

これとは別に

当該エントリで言及された

「こうすればよいのに」

といったことは

他の形でも現実に現れてきています。

 

コンビニ3社、都内で共同配送の実証実験 8月

日本経済新聞社 2020年8月22日)

 

www.nikkei.com

 

(詳しい内容はリンク先記事をご参照ください)

 

ここではコンビニが例となりますが

これもまた

このブログに書かれた形のひとつの現れと見ることができ、

書かれた当時は

誰もそんなことになると思わないようなオカルトトンデモ話でも

何年かするとまるでそれが「当然のこと」のように変化し

実際に世界に現れてくる

という

このブログでいうところの「SF的展開」が為された、とも捉えられるのです。

 

 

優れた「SF小説」には不思議な効果が存在していて←

その時点では

存在していない物や現象(あり得ない、起き得ないようなモノ)を

想像もつかないような形で(ある種 噴飯的に)描かれていたりするのですが、

それが

ずっと後になって

「その通りの現実」として現れることがしばしばあります。

 

 

このブログは

まさに

その効果に着目して作られ、

ブログタイトルも「SF(Science Fiction)」そのまま

「Science Fiction Singularity」と決められたのですが

それが

SF小説同様に

実際に少しずつこの世界に現れ始めている

ということになるのかもしれません。ならないのかもしれません。←

 

 

いずれにせよ……

今回まとめられたエントリの内容が

「専門知識に基づかない『資本主義の終わり方』の考察であり

 オカルトトンデモ噴飯論の域を出ない」

という評価しか得ないようなものであったとしても、

それをそのまま看過してよいとは限らない可能性があることもまた考慮に入れておかなければならないのです。

 

 

…………

話を元に戻して……

 

今回のエントリの内容と

このコンビニ配送に関するニュースを絡めてみると、

 

同業の各企業において

まったく同じようなこと ──── 自前の物流拠点を造り、自前のトラックを用意し、自前の運転手を用意し、自前の配送網を用意し配送していく ──── 

ということを

それぞれが別個に行っているということ……

 

なんだか

もの凄く効率の悪い話であり

部外者から見ると「もう少しなんとかできないものか」疑問に感じる部分でもあります。

 

 

資本主義においては「儲けること」が目的となるわけですが

より儲けるために「コストを下げる」という部分に着目すれば、

このニュースに見られるような「配送網を共有・共同化する」という

「協業」に行きつくのは当然のことといえるでしょう。

 

なにしろ

「行っていること」自体は各企業においてまったく同じ形、であり

その部分の「競争」によって利益を生み出すことはほとんど不可能だからです。

 

 

単独、もしくは少数の企業が

「活動の重ならない場所」において行う事業においては

各社独自の「網」を作らなければならないのは当前ですが、

自前のルートが拡大しきり、参入企業も増え、それぞれが同じような場所を行き来するようになった暁には

その「網」をひとつにまとめてしまった方が

より多くのメリットを網の持ち主たちに与えることでしょう。

 

 

そのようにしてまとまった姿とは、

資本主義的に

「競争」するよりも

「協業」した方が儲かる(コストが下がる)

ということを意味しており、

今後、ますますそのような形が増える方向に

社会全体が進んでいくことになるでしょう。

 

 

「同業でありながら競争せず協業する」といった姿は

本来の自由資本主義というよりも

共産主義的な形に近く感じられ、

それに対して異議を唱える人も出てくるかもしれません。

(これまでの社会において より自由資本主義を広めようとしてきた人々等によって)

 

しかしながら

資本主義の「儲けることを目的とする」という根幹に対して

より忠実だと言えるのが その「まとまった姿(協業)」の方である

ということを考えると

そのような異議は否定されることになるでしょう。

 

 

このことは

自由資本主義ではなく

共産主義的な何かを資本主義に取り入れていった方が より儲かる場合がある

(より先鋭化された資本主義となる)

ということを示していて、

そういう意味においても

資本主義下であったとしても共産主義的な何かを取り入れることの重要性を考える必要が(大いに)ある

ということになります。

 

 

 

共産(社会)主義者こそが

資本主義の「究極の答え」を探し出さなければならない

 

 

資本主義全盛の時代であっても

共産主義的な何かを取り入れることの重要性を考える必要がある

 

 

このように言われると

それぞれの立場に応じて

「冗談じゃない! 資本主義(共産主義)なんか!」

と憤る人も少なくないとは思うのですが、

資本主義的に見ても

共産・社会主義的に見ても

「相手を否定して自分を上げようとする」のではなく

「相手の良さも認めてそれを吸収していく」といった姿勢の方が

より自らの発展に繋がる可能性が大きい、

ということを否定できないのではないでしょうか?

 

 

…………

まぁ…

それはそれとして置いておくとして………

 

当のおまえは「資本主義における<究極の答え>」を知っているのか?

 

 

 

それは……

 

聞いたら

「えっ? そんなこと?」

と拍子抜けして感じるほどシンプルなものであり、

ある種の「とんち」みたいに感じるようなこと、かもしれません。

 

ほんの数行(もしくは1行)で表すことのできるほど

簡潔かつ紛れのない形です。

 

 

 

しかし……

ここではそれを記さないことにします。←

 

そして

それは今後も(たぶん)明かされないことでしょう。

(改悪して利用される可能性があるので)

 

 

ただ……

実際はそこまでもったいぶるようなことでもなく←

普通に

この世界の成り立ちようを眺めてみたら

「そのようになっている」ことがわかる

というようなものなので

深く考えるようなことではない、ともいえるかもしれません。

 

 

いずれにせよ

「そのような形・姿勢」の企業が実際にこの世界に現れてくると

既存の企業は苦戦を強いられていくことは間違いありません。

 

というか

業務の内容が同じようなものであれば

必ず「そのような形・姿勢」の企業の商品が選択されることになるので

そうでない企業は徐々に淘汰されていくことになります。

 

 

そして

そのことによって

上述したような状況が生まれ始め、

資本主義は大きくその形を変えなければならなくなる(ある意味において終わる)

こととなるでしょう。

 

 

…………

はい。

 

 

本来であれば ──── 

 

 

……というわけで

ブログ誕生日、4月1日の更新である、ということを念押ししつつ←

今回の更新を……

 

 

……みたいな感じで

締めるところなのですが、

9月になってしまい

ブログ誕生日を強調する手が使えなくてどうしよう……

とか思いつつ←

今回の更新を終えることにします。